昨日はよく眠れた。ここちいい眠りだったな。クラブで踊ったのは久々だったから。モーテルには何もないけど、ベッドだけは広いから気持いいし。コンサート後の寂しさなんて、どっかいってしまったような夜だったなあ。
あの後、水が引くように別れていった人はどこへ帰っていったのだろう。クラブの前で、写真を一枚とってもらったっけ。今日はParis by Nightか.......
(........このころ、実はParis by Night は15周年記念イベントのため1ケ月前に全席完売していたことを、僕はまったく知らないのであった......)
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あいかわらず「Paris by Night」のインフォメーション・オフィスは繋がらないままだ。リトル・サイゴンで走り回るか、当日券にかけるかしかないようだ。当日券の発売は二時間前からと書いてあったから、その時を狙っていくか.....。
車のエンジンをかけると、この3日間やや曇りがちだった天気に回復の兆しが見えた。リトル・サイゴンもいいけど、やっぱり最後にビーチにも行きたい。僕はV-POPも好きだけど、西海岸アメリカン・ロックで育ってきたのだ。明日は午前の便で帰らなくてはいけない。今日でカリフォルニアともさよならだ。
こうして午前からサンタモニカ湾のWill Rogers State Beach付近で一日過ごした。遠くに薄曇りのロスの高層ビルが見えるこのビーチ、AORが生まれそうなビーチだ。裸足では歩けないほどの砂浜で、横になるとチリチリと肌が焦げる音が聞こえてきそうだ。
高いパームツリーの木が風で揺れはじめ、サンタモニカの町がオレンジに色付きはじめる午後4時。「Paris by Night」は8時から。405号で出会うだろう渋滞を予想すれば、この時間に出て、二時間前のチケット発売にはちょうどいい。
サンタモニカ・ブールバードから405号、710号と乗り継いでロングビーチのオーシャン・ストリートに辿り着いた。6時まであと15分。計画通りだ。
会場であるテラス・シアターの前のパーキングメーターに車をとめ、6時まで待つ。心臓がどきどきする。チケットがあるかないか.....最後の夜がかかっているのだ。
時計の針が一文字を差した瞬間、僕は走った。しめた!誰も並んでいない!2階席でも3階席でも、とにかく前をゲットするのだ!
が、チケッティング・カウンターは、悲しくも「当日券の発売は二時間前から」と書かれた紙が無造作に貼られたままで、中にまで誰もいない。
落ち着きがなくなる僕。もう一度、今さらながらオフィスに電話してみたりして待つこと30分。チケッティング・カウンターは開く気配はまるでない。
こうしているうちに、7時が開場なのであろう、早めの入場を目指した観客がテラス・シアターの庭に集まり始めた。いつもの通りおめかしした女性。噴水に夏の午後の涼しさを味わう恋人。シアターをバックに記念撮影をする子供達。家族にチケットを渡しているお父さん。
7時15分前。シアター入り口の巨大なガラス壁の中では打ち合わせが進められているのが分る。警備員がロープで入場整理の道を作り始めた。
そこで僕は警備員にかけ寄り「今日は当日券の発売はしないのかなあ?」と聞いてみた。「知らない」そうだ。
と、そこに一人のおばさんが警備員と話しにシアターの中から出てきた。しばらくやりとりを聞き、話し終った頃を見計らって、「今日は当日券の発売はしないのかなあ?」ともう一回聞いてみた。ベトナム語でバーっと話し掛けられたが早口で一切分らない。習った言葉しか話せないから、仕方なく英語だ。きょとんとされたが、「ちょっと待ってて」と会場に入っていった。これは、なんとかもぐりこめるかもしれない!「一枚ぐらいならあるだろう」って態度だ!かみさま〜。
待つこと5分。シアターの巨大なドアが開いた。顔を半分外に覗かせながら神の声は、
「No Ticket, No Ticket're Available !!」
オ〜マイガッ!!
「チケットはない。ないチケットは利用できる」「チケットはない。ないチケットは役に立つ」.........直訳してくり返すことしかできない僕。足取りは重く車へ向う。
やっぱり無理だったか。突然来て、なんの情報もなく、それは無理だよな。あっただけよかったんあよな。また別のV-POPクラブでもいくか。でも、よく考えたらこんなショーがあったら、歌手はいなくなっちゃうよなあ。Paris by NightのプロダクションTuy Ngaはこの地域の最大手だし、誰がこのショーとバッティングするコンサートなんて企画するんだ。
そうだ、ダフ屋とかいるかもしれない。コンサートとダフ屋は一身同体。気を取り直して車から出て、再びシアター前の広場に戻った。
ダフ屋はいないかな〜、お、あの鬚面の男はなにやら談笑している、ダフ屋かもしれない........しかし、ダフ屋らしい人物を見かけぬまま、開場が始まってしまった。シアター前の入り口にはすでに入場を待つ列ができて、広場からはポツリポツリと人がいなくなった。
再び諦めて車に戻った。もうダメだ。でもこれが普通なのだ。アリーナ・コンサートは運がよかったのだ。インターネットで予約して、チケットもあって、ワールドカップのようにもならなかったのだから。
ワールドカップ......そうだ、ワールドカップだ。思い出した。テレビで見た。彼ら、チケットがない人たちはみんながんばっていたではないか。それだ。
僕はボールペンと昨日のマジェスティック・クラブのイベント告知のポスターを取り出した。そして、大きくゆっくりと
「TICKET WANT」
と書いた。なんどもなぞって太くした。
観客は皆、ドレスアップしている。言葉も話せないんだから、せめて服ぐらいはちゃんとしておこう。怪しいヤツだと思わわれるのはまずい。さっきビーチにいたカッコのままだ。服も着替えよう。
こうして車を飛び出したはいいが、シアターのトイレは中にしかないようだ。車に戻るが、路上のパーキングで着替えるのはまずい。隣のビルには脇におあつらえ向きの柱がある。頼むから誰もこないでくれ.......。ブラシで髪もといたし、ビーチの汗も香水一吹きでOK。ドレスアップ完了だ。
シアターの広場入り口の花壇に腰かけ「TICKET WANT」を広げた。ここを通らない観客はいない。
来る客来る客が僕を見る。恥ずかしい。そんなことをしている人は誰もいないのだ。僕は何も話さず、紙を広げて、来る人を見るだけ。ちょっと覗き込んでは、な〜んだ、という顔で立ち去る人。数人でハッハッハと笑って通り過ぎる人。まあ、下品な人ねという顔で避けて通る人。目があわないように通り過ぎる人。
無理だよって顔して、待ち合わせしながら見ている人も。
効果はなさそうだが、まだ8時まで40分近くある。がんばるだけがんばってみよう。
と、その時である。「あ!」と僕を指差して、顔を見合わせるカップルが。「いたいた」って感じで一言二言話している。僕は必死の笑顔を作った。腕を組みながら僕に近づいてきて、英語で「チケットかい??」
「一枚、あまっているんだ。お母さんとくるはずだったんだけど、突然これなくなってしまってね。40ドルだよ。いいかい?」
「買います!」
「きみはラッキーだったね、おっと、100ドルにしとこうかなあ、高いチケットだねえ、ハハハ」
「そんな〜、でも買おうかなあ?」
「冗談だよ、40ドルさ。本当についているね」
やった〜〜!嘘みたいだ。ツイテる!
「日本から来たんです。ベトナム語も勉強しているんです。ほら今話しています。明日帰るんです。最後の夜でうれしいです。」
その後、二人は僕と一緒に行動してくれた。
男性の名はT氏。40才くらい。工業デザインの仕事でロングビーチ北部に住んでいるそうだ。女性の名はM氏。35才くらだろうか。二人は夫婦だそうで、たいへん仲がいい。甥っ子と話すように優しく接してくれた。
ありがとう、最後の夜の素敵な贈り物.........
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