4-5. 在日ベトナム人の出演と参加
イベントには招聘された歌手だけでなく、同じステージに在日ベトナム人のアマチュアが上り歌声を聞かせた。
1998年のイベントはオムニバス形式で6名の在日ベトナム人のアマチュア歌手が登場している。演奏も在日ベトナム人が結成したバンド「Ban Nhac New Sky(ニュースカイ・バンド)」が、来日した「Minh Tan」とともに全て担当した。
2000年のイベントでは、4名の在日ベトナム人のアマチュア歌手が登場した。1998年とはメンバーが異なるものの「Ban Nhac New Sky」が再び演奏を担当した。さらに、司会にも1名、在日ベトナム人を登用した。ファションショーやオープニングなどは、それぞれ在日ベトナム人の責任者が企画・演出に参加し、総勢40名近くのベトナム人と日本人のモデルが出演した。
両イベントに出演した在日ベトナム人は、ほとんど難民として日本に定住したものとその呼び寄せ家族である。アマチュアの歌手は全員が20代の若者である。日本での生活はさまざまだ。日本の高校を卒業し会社員をしているものから、難民としてタイやシンガポールで育ったために日本語のみならずベトナム語も不得意なもの(1998年/2000年)、呼び寄せで来日して長い年月が経つが在日ベトナム人社会と接点が少ないという理由でこのイベントに参加したもの(1998年/2000年)、「インドシナ難民の集い」のような集まりではしばしば歌やカラオケを歌っていたもの(1998年/2000年)、中には「メコンセンター」の協力でカリフォルニアで録音したCDを発売しているものもいる(1998年)。多くは神奈川県大和と埼玉に住んでいるが、越僑の有名歌手と共に演奏できるということで、遠方から音楽仲間が集まり、毎週長時間の練習を積んでいた。
Ban Nhac New Skyは1998年の夏に、このイベントのために結成されたバンドである。「新しい空」という意味のバンド名は、難民として来日し日本社会に定住するベトナム人の新天地の心境を込めたものである。
バンドの練習は、1998年のイベント半年前から、毎週日曜日に行われていた。藤沢と厚木の中間あたりの花木園と畑に囲まれた倉庫の隅のガレージが練習場所である。この倉庫の所有者は地元神奈川でリサイクル業を営む在日ベトナム人である。特にイベント前は極寒のなか1日8時間近くかけて野外で練習を行っていたが、この倉庫は地元の音楽好きベトナム人が集まる場所にもなった。コンサートはこのように音楽とは直接関わりのない在日同胞をも巻き込んで成立している。
2000年のイベントの前は、Ban Nhac New Skyのリーダーが経営を開始した神奈川のベトナム料理店に演奏機材を持ち込んで、毎週日曜日午前中に料理店の営業前に練習が行われていた。夜になると、料理店に集まったベトナム人のために演奏を行うなどして、練習を積んだ。1998年のイベント当時、バンドのメンバーは練習が終わると必ずこの料理店に集合していた。いわば、たまり場であったこの料理店を、Ban Nhac New Skyのリーダーは、バンドの練習と発表の場にするために、自ら投資をしてオーナーにまでなり、店を改装して音楽実践の場を作り出した。残念ながら現在、この料理店は姿を消しているが、音楽はコミュニティのビジネスチャンスをも作り出していることが分かる。
日本に定住して長い月日がたてば、生活環境や生活空間が広がりを見せる一方、同胞との距離は離れてゆく。イベントは、娯楽を提供しつつ、コミュニティーの社会関係に刺激を与えたといえる。メディアに紹介されたイメージは、それを実現化するための音楽活動を通じて、実際的なコミュニティー・スペースの創造につながっていたわけである。
2000年のイベントでファションショーを担当した在日ベトナム人の演出家は、東京でベトナム民族衣装のアオザイを販売する専門店を経営している。自身の専門店のデザイナーでもあり、ベトナムに縫製工場を持ち、ビジネスを行っている。オープニングのショーを担当したものはベトナム料理店を経営している。大人数のショーのためにボランティア・スタッフを集め、リハーサルを重ねて、ショーを実現した。
在日ベトナム人社会でビジネスを展開するものをイベントに加えることで、イベント作りに人的交流の側面が強化されたといえる。企画に責任をともなって参加することで、コミュニティーリーダーの創出をうながすことができる。こうしたショーは自身のビジネスの広告ともなり、その成功はイベントの商業化の可能性をも高めるのである。
註
(1) この模様は「連載/話題の教育現場を直撃ルポ5」と題して、2001年に発行された「中学教育」誌にも紹介された。
(2) 1997年に、カリフォルニア・サンノゼにある「San Jose Arena」で開催された、越僑向けコンサート・イベント「Summer Concert Arena3」を取材した。約2万人の観客が集まり、16人の越僑歌手のコンサートと漫才などが、4時間半に渡って盛大に繰り広げられた。カリフォルニアのリトルサイゴンに近いファウンテン・ヴァレイにある、越僑が所有するミュージック・クラブ「Majestic」は、代表的な越僑音楽パフォーマンスの場である。取材時は、12人の歌手が生演奏をバックに、4時間半にわたってダンス・パフォーマンスを繰り広げ、場内はディスコ空間となっていた。約300人の観客が来場していた。また、ロザンゼルス港のロングビーチにある、コンベンションセンター「Terrace Theater」で開催された、Thuy Nga Productionの人気バラエティー・ショー「Paris By Night」15周年記念コンサートのフィールドワークを行った。28人の歌手によるコンサートや演劇、アオザイ・ファッションショーなどが、リアルタイムでビデオ収録しながら、約4時間半、約6000人の観客の前で繰り広げられた。サンノゼやリトルサイゴンなどの都市を訪問するとともに、コンサート・イベントなどのフィールドワークを行いながら、越僑のエンターテイメント産業の関係者のインフォーマントを得て、資料を収集してきた。また、後述する日本のベトナム語メディア「月刊メコン通信」の活動を、参与観察によってフィールドワークを続けてきた。こうした過程で、日本に来日した越僑の歌手やディレクターなどに、直接、インタビューを行うなどして、資料を収集してきた。本稿で、文献等、特に指定のないものは、こうして不定形に収集されたフィールドノーツを元にした情報である。
(3) 在東南アジア米軍向けラジオのブロードキャスターとしての経歴を持つJames Lullは、1990年代初頭に、カリフォルニア・サンノゼでフィールドワークを行い、越僑のポピュラー音楽の商業化と、その背景についての分析を行っている(Lull 1994)。また、フランスに在住するベトナム人の著明な音楽家で、民族音楽学の研究者であるTran Quan Haiは、越僑の音楽活動を詳しくレビューしている(Hai、2001)。
(4) Lullの言うクラブ・カルチャーとは、アメリカのメインストリーム・カルチャーとは別に、サブ・カルチャーとして形成されているものを指している。一般的なクラブ・シーンという言葉で想像されるものとは異なる。Lullは、ベトナムのクラブ・カルチャーのルーツの一つに、演奏する音楽家の経歴があるという。南ベトナム当時の演奏家は、米軍ラジオを聞き、ミリタリーストアで手にいれた音楽で楽曲を学び、軍人向けのクラブやキャバレーで収入を得ていた。演奏家もポピュラー音楽の「受け手」も、こうしたクラブという音楽実践の空間に慣れ親しんでいた。カリフォルニアでは、こうした軍人向けクラブという形式は変容し、越僑向けに高級志向のイメージを演出したダンス・クラブが作られている。
(5) 音楽ジャンルとその名称に関しては、ベトナムの伝統音楽家への聞き取りなどを行ってきた。
(6) イギリスのポピュラー音楽の一つのジャンルとして用いられる「ニューウェイブ」ではなく、越僑の音楽家たちの新しい方法論としての音楽ジャンルを指している。Lullは、ベトナム系アメリカ人の「ニューウェイブ」は、アメリカのコンテンポラリー・チャートや、アーバン・ミュージック、ラジオ局やビデオチャンネルのダンスフォーマットを基礎にしていると述べている。アップテンポでダンス志向ながら、ゆるやかでソフトなメロディーをのせる手法は、ユーロディスコの影響が色濃いともいう。このようにメインストリームからのトランスカルチャーによって成立している越僑の新しい音楽を「ニューウェイブ」として、ここでは用いている。
(7) 「メコンセンター」および「月刊メコン通信」の活動に関して、詳しくは稚稿「日本におけるベトナム語エスニック・メディアの現在」(2000年)を参照のこと。 参考文献
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高橋道彦、「戦渦のヴェトナムで愛された日本語まじりの反戦歌 -ヴェトナムが誇る人気女性歌手カンリー
の半生-特集:音楽を変えたヴェトナム戦争」、MUSIC MAGAZINE、1995年5月
Tran Quang Hai, "Vietnam: Situation of Exile Music since 1975 and Musical Life in Vietnam since Perestroika", The World of Music, 43, 2001
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日吉昭彦、「日本におけるベトナム語エスニック・メディアの現在 ~その1:在日ベトナム人社会における「送り手」の役割とメディアの機能~」、成城コミュニケーション学研究、2000年
日吉昭彦、「日本におけるベトナム語ポピュラー音楽イベントの研究 在日ベトナム人向け「エスニック・メディア・イベント」との関わりを中心に~」、日本ポピュラー音楽学会(JASPM)口頭発表、於淑徳大学、2000年
Lull, James, Waalis, Roger, "The beat of West Vietnam", in ed. James Lull, "Popular Music and Communication", Newbury Park CA., SAGE, 1992
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