コール(Colle. 1968)は、テレビにおける「黒人」表現の型の源流は、映画の表現の型にあったと述べ、その事例を以下の3点にまとめている。
第一の型は、南北戦争を描いた映画に見られるいう。南北戦争を描いた映画の「黒人」登場人物は、「よい/悪い」の二元的な価値観のもとで描かれており、「よい」「黒人」は「扱いやすく/忠実で/ハッピーな」登場人物として描かれ、「悪い」「黒人」は「ごう慢で/復讐心に燃えた/パワーシーカー」として描かれたという。第二の型は、トーキー映画にあり、歌手として登場人物した「黒人」登場人物を「笑って/踊って/おろかな」ものとして描いたものという。第三の型は、日常生活を描いたドラマ映画にあり、「黒人」登場人物は「うそつきで/レイピストで/手作業に専念するおかあちゃん」として描かれたのだという。
映画産業が発展し、内容の形式が多様化するなかで、第一の事例では「心情」について、第二の事例では「行為」について、第三の事例では「役割」についてのステレオタイプ化された表現が生まれてきたことを示している。
テレビにおける「ネイティブ・アメリカン」のステレオタイプ化された表現は、1948年のテレビへの映画配給規制撤廃による、安価なウェスタンの製作に起因していると指摘されている(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。規制撤廃により、安価で放映できる古いウェスタン映画がテレビで商業的に成功を収めると、ウェスタンの形式はテレビ・ドラマに引き継がれていった。ワーナーやハリウッド等のプロデューサーは、セット/ささえ/服装などの背景を古い映画からの場面を切り貼りして利用し、安価なテレビ・ウェスタンの番組を製作したという。以前の映画を切り張りして安価に製作されたウェスタンは人気を呼び、多数のテレビ版が放映され、テレビでは「酒飲み/臆病で野蛮なアウトロー/馬車を襲う/白人の女の子のとりこ」になる「ネイティブ・アメリカン」のステレオタイプ化された表現が再生産されていった。
このように、古いメディアの形式が、商業主義のもとで新しいメディアに移植されたのである。「伝統主義の亡霊」がメディアの近代化のなかで再び姿を表したのである。
同様にアジア系アメリカ人の表現も、当時から25年以上前の「嫌な感じで表現されるアジアン・アメリカン」や「伝統的に従順で、エキゾティックなアジア人」のイメージが、テレビを通じて再生産された(Berry, Mitchell-Kernan, 1982)。第二次世界大戦の頃の映画がテレビで放映され、「軽蔑的で、不道徳」な日本人の表現が溢れた。「ウェイター/洗濯屋/庭師/空手エキスパート/芸者/ドラゴンレディー」などのテレビにおけるアジアン・アメリカンのステレオタイプ化された表現(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)は、テレビを映画館と同様に映画を売る場としたハリウッド側と、安価に古い映画でスケジュールをうめたテレビ側との合意によって生まれたといえるである。
こうして生まれたステレオタイプ化された表現は、新たに制作される番組内容にもフィードバックするようになる。
一方、テレビでは「黒人系」の歌手やダンサーは「白人」に受け入れられず番組が中止になるなどの事例がしばしば見られた(Colle. 1968)。
また、現実的に描かれた「黒人」「少数派」登場人物像は、社会的経済的問題を引き起こしやすかった。「白人」の気に触る番組、つまり広告の減収につながり番組は、スポンサーに受け入れられななかった(Bush et al, 1977)。コマーシャルにおいても、「黒人」と製品を結び付けることを恐れた広告主は、「黒人」を登場させなかった。1950年代を通じて行われたスポンサーによる番組再編は、スポンサーの番組支配の構造を強めた。より「快適なコンテクストで、商品を売ろうとする広告主」は、「『黒人』消費者は支持せず、『白人』消費者に気を使うのが広告主の心情であった」(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。1960年代にはネットワーク局が番組編成の主導を握り、番組は分単位で売られる広告媒体となった。ネットワークはスポンサーに替わって、番組内容からスクリプトまでを統制した。セックスと暴力が溢れる「アクション番組」が溢れた。かたやニュースでは、南部での劇的な人種闘争のイメージをネットワークを通じて、視聴者の家庭に運び入れていた(U.S. Commision on Civil Rights, 1977)。
コール(Cole, 1968)は、「1930年代の後半に、『アモスとアンディー』というラジオ番組での『黒人をけなす』表現の削除を求めたNAACP(National Association of American Colored People)の運動が、かえって『黒人』表現を目につかせなくなるような現象につながった」ことを指摘している。こうした現象は、テレビ映画を通じてステレオタイプ化された表現が見られた「ネィティブ・アメリカン/スパニッシュ/アジア人」などの表現にも行われたが、その結果は同様に、簡単にその場面を取り除くか、放映を「やめる」というだけのアクションがとられただけであった。
こうして、テレビの世界では、「黒人」は「コメディー」で登場するものという、登場する「番組種目」についてのステレオタイプ化された表現が生まれてきた。「少数派」の登場人物は、テレビ番組のなかのゲットーに閉じ込められていくか、インビジブルな存在となるか、二つの道を歩んでいくのである。
以下で本項での結論をあげておく。1970年代に行われたテレビの人種表現に関する内容分析調査の主な問題意識は、「黒人」や「少数派」登場人物は、過少に描かれているか、あるいは、ネガティブなイメージで過剰に偏った描かれ方をなされているのではないか、というものであった。こうした表現の源流はメディア産業の近代化という構造変化のなかに、一つの事例をみることができるのである。 三. メディア表現に関する批評の公民権運動的性格
1960年代初期の、New York State Commission for Human RightsやNAACPの、メディア産業における雇用と、メディア表現における平等や改善を求めた運動は、第一に、公民権運動を背景として、そして第二に、「黒人」市場の多大な消費力を背景に、一定の効果を持ったことが指摘されている。
公民権運動とは、1950-1960年代にアメリカの黒人に平等な権利を獲得するための運動であり、例えば、1948年の「人種隔離撤廃」や、1955年の「バス・ボイコット運動」、1960年の「座り込み運動」、1963年の「ワシントン大行進」などがランドマークとして着目されることがある。メディア産業への「少数派」の参画や、ネガティブ・イメージの「黒人」像で広告のされる商品へのボイコットなどの運動も、一般に言われる公民権運動と類似した方向で行われている。これらの運動は表現に関る公民権運動的性格を持ちあわせているといえよう。
第二項で指摘したように、メディア産業の構造変化は、表現の変化に結びついている。メディア表現に関する批評の公民権運動的性格は、メディア産業における雇用機会均等の実現とともに行われたのであった。
一般に、メディアにおける公民権運動は、1964年に、United Church of Christがジャクソン・ミシシッピにあるWLBT-TVに対して、「黒人」を出演させていないことと、番組が概して彼らに「無礼」であることを背景に、FCCに免許の停止を嘆願したことがあげらることが多い。こうした意義申し立ては、製作者や出演者における「少数派」集団の参画要求とともに行われ、雇用とメディア表現における平等や改善を求めた運動となっていった。こうして「目にみえること」「登場すること」は、メディア表現の批評の重要な着眼点となったのである。
「黒人」を「ばかにする」広告の製品は買わないとするボイコット運動などが起きたが、「黒人」市場の成長は広告主が無視できる範囲を越えていたのである。商業主義的な関心のなかでも、「黒人」表現に開かれた道があったということである。
広告市場だけではない。公民権闘争のなかでは、ニュース時間の枠が拡大され、その報道のために「黒人」レポーターが求められた。さまざまな少数派集団が関る公共的な社会問題を扱うなかで、メディアは白人メインストリームだけを視聴者集団とするこれまでの市場意識の変革を迫られたのである。こうした「少数派」の市場への取込みは「これまで視聴率調査の対象でなかった『白人』以外のものに、広告放送の対象として関心が払われるようになったことである」ともいわれている。スポンサーシップの構造変化、つまり、番組のスポンサー制から時間をシェアするタイプのスポンサー制の変化も、多様な視聴者というターゲットの設定に一定の貢献をしたといわれている。
そのなかでコール(Colle, 1968)は、「黒人」表現は1960年代中旬に、メディアの「自意識のない」、アイデンティファイできない「人種」表現がみられるようになったと述べている。「白人」社会のメディアで、「白人」のための、「白人」による、「黒人」表現であるとして盛んに取り上げられた。メディア産業は「白人」エグゼクティブで占められ、ライターが「白人」だったり、「白人」が黒や黄色の化粧をして登場したり、そして「白人」がそれを見て楽しみ満足し番組のスポンサーの商品を買うように志向したものであり、それ以外のものは、番組に「色」をつける程度のものでしかないのか、という批判である。こうした「黒人」表現が「トーケニズム」として批判されたのだ、とコールは述べる。
1968年にカーナーコミッション(United States National Advisory Commision on Civil Disorder, 1968)は、「『黒人』はスクリーンに登場したとき、『白人』が彼らを見たときのように表現され、彼らが彼ら自身を見たときにようではなかった」と述べている。カーナーコミッションはやはり、「『白人』によって統制されているマスメディアは、結局は『黒人』を含む視聴者とコミュニケートする試みに失敗している」と結論づけている。
メディア表現への批評の公民権運動的性格は、こうして、メディア産業の構造変化の動きのなかからさらに進展して、メディアで「誰が/どのように」表現されているかという探索に見て取れるようになったといえる。「ジョージアの赤土の丘の上で、かっての奴隷の息子たちとかっての奴隷主の息子たちが、兄弟として同じ食卓を囲めるようになるであろうとの夢」と表現して「統合」を語ったように、旧来のメディアの内容を形式を踏襲する場としてのテレビのなかで、あるいは、視聴者のお茶の間のなかで、「食卓を囲む」表現が検証されることになるのだ。
1970年代になって、テレビ番組のジャンルは分化し多様化した。広告媒体としての価値が高まったテレビは、制作費用をかけた連続ドラマなど「現実的」なコメディーやドラマが登場した。さらにこうしたテレビ番組は、コピーにより拡大再生産されることになる。ヒットした作品には、次々とコピーが誕生するという現象である。このようななかで、テレビ番組の「現実性」は重要な批評対象となった。「現実的」なコメディーやドラマでは登場人物のキャラクターは、人種、社会的地位、夫婦間スタイルなどで、広がりと多様さを持つことになるのだが、それが現実の社会を反映しているかどうかは重要な論点になった。
1977年に United States Commision on Civil Rightsは、テレビの急速な普及と、情報源としての信頼性の高さのなか、テレビのエスニシティとジェンダーの表現の多様性の反映と雇用における機会均等を求めた報告書を政府に提出している。ここでは、公民権運動について、「(公民権運動という)ドラマがメディアの注目を引き、『黒人』の人々はより可視的になった。そのことで、それまで法の元で平等を否定されてきた彼らが『平等』を達成することを決心したのだ、というアメリカの公共的な自覚が浸透した」と分析している。このように、メディアの「可視性」が公的関心に寄与する機能をあげながら、「どの程度、どのようなやり方で、テレビは平等/不平等を永続させているのか」という疑問を提示している。
この報告書では、FCCの放送局における免許更新過程、つまり3年に一度は雇用のファイルを提出して、免許の申請には、公の関心を満たしているかどうか点検する例をあげ、表現に関しても、社会の動きのなかで公の関心を満たしているかどうかチェックする必要が有ることを述べている。こうしてメディア表現の研究では、進行中のものに対してその過程を明らかにするという関心から、比較可能な内容分析調査が多数行われるようになる。
以下で本項の結論を述べる。メディア産業をめぐる社会の近代化のなかで、「黒人」はメディアの世界で「目に見えるもの」となった。メディアにおける公民権運動をめぐる事象を通じて、メディアが旧来の人種主義を克服しようとする過程が理解できる。メディアの公民権運動の実現を、表現の観点からチェックしてきた、メディア表現の批評は、公民権運動的性格を持ちあわせているといえるであろう。
コール(Colle, 1968)は、社会変化のなかのマスメディアの「黒人」イメージと、その変化について、以下のように述べている。
1980年代以降の人種表現をめぐるコミュニケーション的な論説について、これまでの議論をおおまかに整理すると以下のようにまとめられると考えられる。
第一に「効果・影響理論」を背景とした、「メディア世界と現実との混在問題」などを取り上げたもので、多くの「テレビにおけるのマスコミの影響力」などの議論の延長線にあるものである。これらの議論は、たいていはメディアを読み解く力が未熟だとされる子供に対する「負の影響」を考慮したものである。
子供の社会化に対するメディアの影響が盛んに論じられ、登場人物の過剰、過少のバランスの関心から、表現のコンテクストそのもののが問われるようになった。たとえば、バーカスは地方局の子供番組や、そこにはさまれた広告など多くの内容分析の報告書を提出している。社会化に関する影響の研究と内容分析のつながりは、「『少数派』の子供達が、本人が知らぬところで見られているのか、その逆に見られていないのか、それはどのような像であるのか」というバーカスの問題意識に見て取ることができる。内容分析調査は、子供にとって人種表現が社会化におよぼす影響を調査する上での基礎資料となっている。
これらの議論は、ステレオタイピカルな人種表現を成長期における子供への害物として捉え、身体的および精神的健康への関わりを軸に、コミュニケーション不全を告発する類のものであった。
第二にメディアに接する側の分析として、「利用の仕方および満足度」などを取り上げたものがある。これらの多くは「現実に代わるテレビ」という「ニューリテラシー」を取り上げたものといえる。テレビを通じた学習を、肯定的にとらえる議論がある。例えば、グリーンバーグ(Greenberg et al. 1982 )は、「黒人とほとんど接触したことのない、郊外の白人の子供が、黒人について知っていることがテレビの表現のそれから来ていた」ことを報告している。
一方、人種表現の研究の場合は、リフ(Riffe et al , 1989)が言うように、「『受け手』の批判的なメディアへの態度のなかでも、『世界はどのようにあるのか』という関心は萎えず、常に補強的である」というように、利用の仕方以前の表現そのものの真偽に関心を置いてきた。
両者ともメディアの「受け手」にとって、メディア・コンテンツは、アイデンティティ形成およびセルフコンセプトの確立に寄与するものである、といった視点が含まれている。これらの研究理論は、多くのマス・コミュニケーションに関する研究を通じ、実証的に明らかにされてきたものである。人種表現の場合も同様に、少数派のヒーロー像の分析や、家族関係、コミュニケーションの相互作用の分析などを通じて、こうした研究理論との結びつきが見られている。また、「Black I Is a New Color of Our New TV」「Black Is Beaty」といった独自のコンセプトで自らを表現する観点が、新しいメディア文化の進展や多メディア化、さらには多メディア化にともなう受け手集団の細分化のなかで重要視される。これまで一種の線引きであった「色」は、映像技術の発展とともに、本来の自己を再発見し、またそれらを通じて新しいコミュニケーションの場としての独自の番組が生まれるという見方が現れてきた。
しかし、テレビが「プラグインドラッグ」として批判を浴びたように、人種表現は犯罪や暴力と容易に結びついた。オリバー(Oliver, 1992)は、暴力と人種と攻撃行動の関係を、刑事ものの現実に即した「ドキュメント」の内容分析から把握している。オリバーの研究は、報道とフィクションの中間に位置する「ドキュメント」を扱ったものであった。メディア内容の対象が「現実」であるか「虚構」であるかに関わらず、その扱い方に問題点が含まれていることを示唆するものである。
ところで、人種表現の研究では、コミュニケーション過程における「送り手」論にあたる、典型的な「制作サイド」に関する議論は主に雇用との観点で行われてきた。「送り手」としての産業構造に着目した場合の現代的課題は、単にメディア産業への少数派の参画=「送り手」という図式だけでなく、輸出産業としてのメディア産業にも着目する必要がある。セガーが論じたように、国際コミュニケーションの観点からすると、テレビ番組は海外に影響力を持つ文化情報であった。セガーは「多くのアメリカのテレビドラマは他の諸国に広く輸出され、これらの情報はしばしばアメリカの生活や文化、価値についての主要な情報源となる」として、「多くの人がアメリカでの直接経験がないなかで、歪んだアメリカの生活イメージや、アメリカ人像を受け入れる」ことに危惧を示している。
現在、これら対外情報の国際的影響力は、近年の放送衛星による情報のグローバル化のなかで盛んに議論されている問題である。当初、これらは放送のような電波メディアならではの漏れが議論の中心であった。一方、ケーブルによる情報網の世界的発展によって、この議論は、もはや漏れ入りや特定地域のメディア企業の力など政策的議論の枠を大きく超えて、地域アイデンティティとソフトウェアとの関係に議論の主眼が置かれるようになってきた。文化支配は、単に産業基盤を奪うだけでなく、表現の基盤となるアイデンティティにまで影響を及ぼすといった議論にまで拡大したのである。
これらの文化情報の国際関係については、ハリウッドのヨーロッパ進出に見られるような文化帝国主義への批判を顕著な例にあげることができる。この批判は、巨大資本と大量の広告、およびその流通ルートを確保したアメリカの映画産業に向けられたものであり、異なった文化的背景を持つヨーロッパで、支配的な価値観念のアメリカ化を懸念するとともに、市場支配のなかで自国の生産能力を減退させるものとして、文化情報の輸入に対して一定の規制をかけたものであった。この事例は、メディア産業の構造を、文化情報の「送り手」として論じたことが、マス・コミュニケーション論的に大きな意味を持つ。文化情報の「送り手」を論じることにより、すでに述べたの「メディア効果論」や「メディアの利用と満足理論」が、ハリウッドのような国を越えるパッケージメディアの「受け手」にまで広がったからである。
こうした事例は、人種表現の問題が、単に、ある人々の、ある地域の、ある時代の、あるメディアの、といった枠を越えて、より普遍性のある問題であることに気づかせる。
たとえば、テレビも文化情報の「送り手」として注目されており、人種表現は「コンテンツ」なのである。拡大した文化情報の「マス・コミュニケーション化現象」とでも名づけられるような様相を呈しているといえよう。このようなメディア内容は、こうして異なった文化を横断するときに、様々な価値観との対峙に直面する。人種表現は同様に、異なった文化の様々な価値観に対峙するとき、再び科学的批評を求められる。 七. 結論
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