問題意識と関心
私はこれまで、テレビ・メディア等で、「外国人」がどのように表現されているか、内容分析の方法を用いて研究を行ってきました。 現在の日本では、急激な人の国際化が進展していると言われています。こうした環境のなか、日常生活でのコミュニケーションが円滑に行なわれるためには、的確な情報による、相互の正しい認識と理解が必要であると思われます。 現代社会において、マス・コミュニケーション・メディアは生活の指針となる貴重な情報源の一つです。そして、テレビのような映像情報は、印象や価値意識の形成に大きく寄与すると考えられます。時間単位で異なった内容がとめどなく展開するテレビ番組は、コミュニケーション場面の宝庫です。 大量伝達を特徴とするマス・コミュニケーション・メディアは、公の関心を満たし、社会的責任をもつものであるという議論があります。はたして現在の日本のメディアは、「国際化」という文脈で、その機能を果たしているのでしょうか。あるいは一面的な枠組みと描写で、偏見を強めるような機能を果たしているかもしれません。 こうした問題関心から、マス・コミュニケーションの流れ、つまり簡単に言えば「送り手-内容-受け手」のうちの、「内容」についての焦点をあてた研究を行っているわけです。 これまで日本では、メディアの外国内容に関する研究が、何度か行われてきました。いわゆる「メディアの外国要素の研究」の流れです。内容分析方法を用い、メディアに表現された「外国」性について記述してきた研究です。 外国で作られた番組の供給を扱うものや、国際ニュースのイッシューは「どこの国のニュースか」、などを扱うものが「外向きの国際化」を背景とした研究であるとするなら、ドラマや広告の登場人物の頻度を扱う研究は「内向きの国際化」を背景とした研究といえるかもしれません。 私は、1990年代以降のニューカマーとよばれる「外国人」の増加とともに、日本のテレビ内容にもなんらかの変化があるのではと思い、1995年に広告における「外国人」登場の頻度に関して、数量化による内容分析を行いました。以前の研究では、テレビ広告の世界は白人男性中心の世界であると言われてきましたが、95年では変化が見らました。アジア系の「女性」の登場人物が非常に増加していたのです。しかしその描写は、「集団的」な表現であり、職業や行為の多様性を表さず、マイナーで背景的な役割で登場していることを発見しました。 そのとき、私は、アメリカで1970年代のテレビの内容分析を通じて明らかになった「黒人」登場人物の表現のあり方が、奇妙にも、日本のコマーシャルのアジア系登場人物に似通っていることに気がつきました。 25年の時と海を隔てる距離を経て、移民の国とよばれるアメリカと大幅な状況の違いのある日本とで、ある種同様のスタンスの批評が行われていることに、不思議な感覚を覚えたのでした。 1970年のアメリカといえば、「黒人」公民権運動がやや下火になり、女性運動、ベトナム反戦などが盛んになっていた時期。一方、1995年の日本は新しい「国際化」という文化変容のさなか。 社会の変化のなかで、メディアの人の表現の変化に似通った傾向があるのだとすれば、公民権運動を背景に行われたこれらアメリカの研究は、現在の日本の国際化をめぐるメディア表現の分析/考察とその意義に一定の視点を提供すると思われます。 そこで、1960年代から現在まで、アメリカでよく行われている、「人種」表現の頻度に関する内容分析研究、つまり、コマーシャルやドラマ、コメディーで、誰がどのように登場しているのか、「少数派」はどうか、という調査研究に関する文献をレビューし、これまでのマス・コミュニケーション研究への貢献を考察するとともに、現代日本でのメディア表現に関する研究の意義と方法について探究してみたいと思います。
なお、始めに、簡単に今日の発表で注目する内容分析研究の対象と手法について説明しておきます。 主に数量化による登場人物の「人種」表現についての内容分析調査が中心です。 古典的な手法でありますが、ベレルソンの定義のように「コミュニケーションの明示的内容の客観的、体系的および量的な記述の調査技術」であり、体系的な順位づけと類型化を通じた量的指標の探索で、それらは手続きを明示しており、比較する可能性を持ち合わせているものです。 実際には、まず、放送内容を録画します。サンプルは、期間連続のものやランダムに選びだしたものがあり、番組種別も様々です。質問紙を作成するように、調査項目を作成します。時間や番組を単位として個々のサンプルを分割し、調査対象(登場人物であるとか場面であるとか)について、トレーニングを積んだコーダーと呼ばれる調査者が素材となる資料を視聴し、調査項目をチェックしてゆきます。 言ってみれば、メディア的現実の人口統計学的アプローチを基礎としたものです。北米における内容分析調査とその背景 さて、1968年にJournalism Quartely誌でロイヤル・コールは、社会変化のなかの、マスメディアの「黒人」イメージとその変化について、 現実世界では「黒人」のメインストリームの社会への「統合」がやや遅れな がらも進展するなか、テレビというファンタジーな世界では、まるで「黒人」 が生まれてきたばかりであるかのように扱っている。
と述べています。そして、「黒人」表現の変化とその背景について次のようにまとめています。つまり.... 「黒人」のネガティブなステレオタイプ・イメージは、映画にそのランドマークを見ることができることを指摘しています。 ここでは、一つに、南北戦争を描いた映画で、よい「黒人」は「扱いやすく/忠実で/ハッピーな」、悪い「黒人」は「ごう慢で/復讐心に燃えた/パワーシーカー」と描いたもの 二つ目に、トーキー映画の歌手にある、「ハッピーで/笑って/踊って/おろかな」ものとして描いたもの そして、三つ目に、日常生活を描いたドラマ映画で、「うそつきで/レイピストで/手作業に専念するおかあちゃん」として描いたもの があげられています。 メディアの内容の型の多様性のなかで、「心情や行為、役割」についてのステレオタイプ化が生まれたことが述べられているといえます。 こうして生まれたステレオタイプは、コメディーでばかり「黒人」を登場させたりするように、メディア内容にフィードバックするようになります。 その背景で、テレビでは歌手やダンサーは「白人」に受け入れられず番組が中止になることなどが起きています。また、現実的な「黒人」や「少数派」の表現は、社会的経済的問題を引き起こしやすく、「白人」の気に触ること、つまりは広告効果の減収する番組は、スポンサーに受け入れられないということになりました。コマーシャルにおいても、「黒人」と製品を結び付けることを恐れた広告主は、「黒人」を登場させなかったということもありました。 こうして、テレビの世界では、「黒人」「コメディー」というゲットーが出来上がったわけです。
ネイティブ・アメリカンのステレオタイプは、1948年の、テレビへの映画配給の規制の撤廃による、安価なウェスタンの製作に起因していると言われます。これは、古いメディアの形式が新しいメディアに移植されることによって起きた、商業主義的な伝統価値の近代化であると考えられます。以前の映画を切り張りして安価に製作されたウェスタンは人気を呼び、多数のテレビ版が放映されました。 同様にアジア系アメリカ人の表現も、25年も前の「嫌な感じで表現されるアジアン・アメリカン」や「伝統的に従順で、エキゾティックなアジア人」のイメージが、テレビを通じて再生産されたのでした。 70年代になって、ジャンルは分化し、広告媒体としての価値が高まったテレビは、制作費用をかけた連続ドラマなど「現実的」なコメディー/ドラマ登場する一方、ヒットした作品は、次々とコピーが誕生するという現象が起きました。 こうしたテレビ番組の「現実」性は、コピーにより拡大再生産されることになり、「現実性」は重要な批評対象となりました。こうした番組では登場人物のキャラクターは、人種、社会的地位、夫婦間スタイルなどで、広がりと多様さを持つことになりますが、それが現実の社会を反映しているかどうかは重要な論点になるわけです。 さきほどのコールは、1930年代の後半に、「アモスとアンディー」というラジオ番組での「黒人をけなす」表現の削除を求めたNAACP(NationalAssociation of American Colored People)の運動が、かえって「黒人」表現が目につかなくなるような現象を生んだことを指摘しています。こうした現象は、テレビ映画を通じてステレオタイプを表現していたインディアン/スパニッシュ/アジア人などの表現にも行われましたが、簡単にその場面を取り除くか、放映を「やめる」というだけのアクションがとられたのも、同様の傾向です。 こうしてアメリカにおける「少数派」集団がインビジブルな存在となったわけです。 一方では、1960年代初期の、New York State Commission for Human RightsやNAACPの、雇用と表現における平等を求めた運動は、「黒人」市場の多大な消費力を背景に、一定の効果を持ったことが指摘されています。「黒人」をばかにする広告の製品は買わないとするボイコット運動などが起きました。テレビの、議論をよぶような表現はさけるようとする姿勢のなかでも、商業主義的な関心のなかで「黒人」表現に開かれた道があったということです。 こうした動きは、テレビへの配給を考える映画スタジオにも変化をもたらしたことも指摘されています。こうした広告市場への取込みは、これまで視聴率調査の対象でなかった「白人」以外のものに、広告放送の対象として関心が払われるようになったことである、ともいわれています。番組のスポンサー制から、時間をシェアするタイプのスポンサーシップの構造変化も、多様な視聴者というターゲットを設定したのに一定の貢献をしたといわれます。 さらに、公民権闘争のなか、ニュース時間の枠の拡大し、その報道のために、「黒人」レポーターが求められました。 ともかくも、こうしたメディア産業の近代化のなかで、「黒人」はメディアの世界で「目に見えるもの」となったわけです。メディアにおける公民権運動が、旧来の人種主義を克服しようとする過程が、メディア表現を通じて理解できるわけです。 公民権運動は、1950-1960年代にアメリカの黒人に平等な権利を獲得するための運動で、例えば、48年の「人種隔離撤廃」、55年の「バス・ボイコット運動」、60年の「座り込み運動」や63年の「ワシントン大行進」などは有名です。これらの運動は、メディア産業への「少数派」の参画、ネガティブイメージの「黒人」で広告のされる商品へのボイコット、そして「目にみえること」「登場すること」への着目に投影することができ、表現に関わる批評の公民権運動的性格をみてとることができます。 一般的には、メディアにおける公民権運動は、1964年に、United Church of Christがジャクソン・ミシシッピにあるWLBT-TVに対して、「黒人」を出演させていないことと、番組が概して彼らに無礼であることを背景に、FCCに、免許の停止を嘆願したことがあげらることが多いですが、表現と雇用は切り離しずらい問題であります。 例えば、コールは「黒人」表現は、1960年代中旬には、メディアの「自意識のない」、アイデンティファイできない「人種」表現がみられるようになり、それは「トーケニズム」として批判されたといいます。 こうした「黒人」表現への批評は、「白人」社会のメディアで、「白人」のための、「白人」による、「黒人」表現であるとして盛んに取り上げられました。 メディア産業は「白人」エグゼクティブで占められ、ライターが「白人」だったり「白人」が黒や黄色の化粧をして登場したり、そして「白人」がそれを見て楽しみ満足し番組のスポンサーの商品を買うように、志向したものであり、それ以外のものは、番組に「色」をつける程度のものでしかないのか?、というものです。 1968年にカーナーコミッションは、 「黒人」はスクリーンに登場したとき、「白人」が彼らを見たときのように 表現され、彼らが彼ら自身を見たときにようではなかった。
と述べています。 さらに、カーナーコミッションは、他の「少数派」集団である、ネイティブアメリカン/アジア系アメリカ人/スパニッシュの人々は、テレビのスクリーンでいまだ目に見えないままでありつづけていると批判しました。 メディアの公民権運動は、こうして、現実社会の動きだけでなく、メディアで「誰が/どのように」表現されているかという探索とともに進んできたものであるといえます。
コールは最後に、テレビに写された「黒人」をはじめて見た男性のインパクトをあげています。マーチンルーサーキングが63年の講演で、「ジョージアの赤土の丘の上で、かっての奴隷の息子たちとかっての奴隷主の息子たちが、兄弟として同じ食卓を囲めるようになるであろうとの夢」 と表現して「統合」を語ったように、旧来のメディアの内容を形式を踏襲する場としてのテレビのなかで、あるいは、視聴者のお茶の間のなかで、「食卓を囲む」表現が検証されることになるわけです。 1977年に United States Commision on Civil Rightsは、テレビの急速な普及と、情報源としての信頼性の高さのなか、メディアのエスニックとジェンダーの表現の多様性の反映と雇用における機会均等を求めた報告書を政府に提出しています。 ここでは、公民権運動について、 そのドラマがメディアの注目を引き、「黒人」の人々はより可視的になり、 それまで法の元で平等を否定されてきた彼らが「平等」を達成することを決 心したのだ、というアメリカの公的な自覚が浸透した
として、メディアの「可視性」が公的関心に寄与する機能をあげながら、
どの程度、どのようなやり方で、テレビは平等/不平等を永続させているの か
というイッシューを出しています。 この報告書では、FCCの放送局における免許更新過程(つまり3年に一度は雇用のファイルを提出して、免許の申請には、公の関心を満たしているかどうか点検する)という例にあげ、表現に関しても、社会の動きのなかで公の関心を満たしているかどうかチェックする必要が有ることを述べています。 こうしてメディア表現の研究では、進行中のものに対してその過程を明らかにするという関心から、比較可能な内容分析調査が多数行われるようになります。
では、まず初期の研究の代表的なものをあげてみます。 レジメでは事例1としてあるものです。 DominckとGreenbergによって行われた「Three seasons on blacks on television」という論文があります。この研究は、さまざまな研究の比較題材となっています。今回が同ジャーナルで掲載されたソロモンとヘアーの追試を加えて紹介します。 二人の問題意識は、 60年代後半の「黒人」の新しいイメージについて、「テレビでは現実でそうであるより以上に「黒人」が登場しすぎである」と述べたテレビプロデューサーの言葉と、「シーンが(現実的)であるかのように、(テレビに)反映する概念的な事実にアプローチし、人工的な状況は避ける」とのプロデューサーの言葉について、エキゾチック(異国風)な論理であると批判することから始まっています。 「「黒人」は基本的に、「白人」の役割を「白人」の物語のなかで演じている。このようなレディーメードな登場人物が、分りやすいプロットについている」にもかかわらず、「テレビは「黒人」の新しい/オリジナルな物語を発展させることができた」とするテレビに対し、皮肉な独創性と創作性があると見ています。このような関心は、メディアがオルタナティブとよび、差異のなさがうまれる場に芽生えた、新しい人種主義の台頭を、的確にとらえていると思われます。 初期の研究は、比較題材がないことからも、こうした製作の現場の言葉がよく取り上げられます。パブリシティ、あるいは、公民権運動の背景から、受け手の読みがうずまく場とテレビをとらえ、製作サイドにその受け手的なものとの共謀があるとする意識があり、今、盛んに論じられるカルチュラル・スタディーズとしての再評価をしてもよろしいと思います。 さて、 1967年夏、1968年秋、1969年冬の3期間、一週間のデイタイムとプライムタイムで、全番組を対象に調査を行っています。 項目は、資料になるとうりで、時間/日にち/チャンネル/ネットワーク/製品の型/コマーシャルでの人間の数/「黒人」登場人物の数であり、 「黒人」登場人物はおのおの、 *一人で登場するか、「白人」とだけ登場するか、「黒人」だけで登場するか、両方で登場するか *登場人物は話すかどうか *登場人物は製品を持ったり使ったりするかどうか *「黒人」登場人物は他の登場人物に触るかどうか *「黒人」登場人物の職業的役割は *役割は、主役か脇役か、背景的役割であるか *性別は といった項目を調査しました。 その結果、右の表のような結果を得ています。これはコマーシャルにおける「黒人」登場と役割に関するものです。 細かい数値は省略しますが、「黒人」の登場する広告は増加し、主役としての登場人物もそれに従って増加しています。 簡略に結論を言うと、広告では、 *公的サービスの告知やプロモーションのなかで多く登場したが、たいていは話さず、ほとんどは「白人」と共に描かれている。「黒人」は製品を売る際により行動的で、多くは製品を持ちアナウンスをする。 *単独で登場しない また、ドラマでは、 *昼間とプライムタイムでは「黒人」の扱いに違いがみられた。 *1/4のドラマで「黒人」は登場人物がみられるが、典型的な役割を持ち、医薬や法律の仕事で登場し、めったに命令しない。 *めったに人種的な言及が行われない などが明らかにされています。 そして、これらのデータから、「黒人」の高い「可視性」は現実よりも「黒人」が多いことの印象を作り出すというプロデューサーの意見をみとめながら、広告に登場する人数の増加の割に、「黒人」が登場する広告の割合の増加が少ないことから、これまで登場人物を一人しか使ってこなかったような広告で、多数の「黒人」登場人物を用いていることを指摘しています。1973年にグリーンバーグとマジンゴが、同様の手法で同様の調査を行っています。これは右表の下の「参考」のものです。 ここでは、「主役が減少し、背景的役割が増加した」こと、「プライムタイムの番組で「白人」と一緒に登場する番組が減少したこと」の二点をあげています。 グリーンバーグの一連の研究は、テレビ表現における「人種的統合」にみられるテレビのホスト社会化といったものを明らかにしているといえます。
1973年と74年には、ソロモンとヘアーが同様の手法でコマーシャルについて、時期と地域を変えて調査を行い、グリーンバーグらの研究と比較を行っています。 彼らは、 人種差別なき広告の広範な流通と長期間にわたる実践こそ、ステレオタイプをなくしてゆくものである、という問題意識にたって行わいます。 これは、公民権運動を通じた人種闘争が持った意識である「アメリカン・ドリームの狭さ」や、「この制度が続く限り......」あるいは「今日も...明日も....」といった連続性.....こういったものが投影されていると思われます。 この調査の結果は、さきほどの表にも含まれていますが、 「黒人」の登場、主役での登場はともに増えているが、多くの登場人物が一度に登場する表現に変化はみられなかったとしています。地域/時間によって「黒人」の登場が異なりましたが、それは市場の違いであろうと述べています。あとはほとんどグリーンバーグらの研究と同様の結果がみられました。 ソロモンとヘアーは、こうした「変化のなさ」を広告主の「黒人のユニフォーム」という言葉で表現しています。「黒人」表現の「安定と制度化」について、一方では希望的に持続への期待があり、他方では次なるステレオタイプへの危惧があるのです。 さて事例2です。 こうした時系列的研究では、ノースコットらやセガーらの一連の研究で、1970年代の「黒人」やその他の「少数派」のテレビドラマとコメディーでの描写を研究したものがあります。レジメにあげた4つの論文は、1971年-1980年までの10年の「少数派」表現が一覧できるものです。 これら一連の研究は、 ・多様な「少数派」の露出の有無 ・登場人物と国家の人口構成を、エスニシティの観点から比較する ・表現におけるエスニシティとジェンダーという二つの変数の関わり ・テレビにおける職業表現 を主眼に行われています。 5つの論文は、コーディング手続きで、ある程度、一定の定義が行われていて、若干のサンプルや手続きの変化を考慮しても比較に耐えうるものです。 彼らが研究の問題意識としてあげるものは、トーケニズム(名目だけの人種廃止)です。「黒人」の顔が多く現れるようになっても、役割の質や重要さではあまり変化が見られないというものです。そして、トーケニズムを調査するため、重要な役割を担う「白人」表現との比較を行うとしています。こうした登場人物内での比較/現実との比較の二点はドミニクの調査にはありませんでした。 ここには明らかに、マイノリティの立場からのエスニックな意識の台頭、といったものを読み取ることができます。 ここでも具体的な数値は表にゆずりますが、 10年の概観から、 ・70年代を通じて、「白人」登場人物は、全体的なコメディードラマやドラマショーにおけるメディアでの支配を高めた ・「黒人」登場は6-8%の登場を維持し、それは1976年に国家の人口の構成の11.5%、1978年には11.7%の人口を占めた「黒人」にとって、反映の均等さからみ下回っている ・力のない「その他」の「少数派」に関して、現実に彼らは国家の人口の8-9%にふくまれているにも関わらず、彼らは実際に表現の構成からほとんど除外されている。 とまとめています。 さらにジェンダーの観点から、 ・1971年で男女比が4:1だったものが1980年で、3:2になった ・「白人」「女性」は増加したが、「黒人」「女性」は増加しなかった ・「黒人」「男性」はやや上昇した ・その結果、「少数派」の男女が登場しなくなった。 役割重要度の観点から、 ・「白人」「女性」で主役での増加が最も目についた ・「黒人」は男女ともに、主役から、脇役や背景的役割に変化した ・数が少ないながらも「少数派」は主役での役割を増した などを報告しています。 彼らは、1971年には提言として「「IS」と「CAN BE」の両者の表現を行うこと」を求めていました。 1973年には、「黒人」は「白人」と比較するときには、とても好意的に描かれていて、この傾向は、テレビ産業が「黒人」「少数派」によってもたらされたプレッシャーを感じとっており、よりよい意味での「混乱」の中で少なくとも変化への責任を感じており、それらは黒人表現の変化にあらわれていると言っています。 一方、役割重要度のなさから、「黒人」はマージナルな役割を担うとも指摘しています。 75年には、メディアの経済的恩恵から俳優そのものが増えたことを指摘しています。そして、70年代初期の「黒人」の批判運動の落ち着きと、「女性」運動の興隆を通じて、「黒人」と「女性」に焦点があたった表現となり、メジャーなマイノリティーが生まれたことを示唆しています。その結果その他の「少数派」は減少したわけです。このことをかれれは、「単に多くの「白人」と多くの「黒人」が、他の色の陰影を消している」と表現しています。 こうして、彼らの言う「CAN BE」が「WAS」に戻る傾向が明らかにされたわけです。言ってみれば、「ある先行に対する、新しいイメージの生成とその一般化が、再び先行として、次に換気されるであろうイメージに対して制度としてふるまう」ような、文化の古い層の浮かび上がりの現象を見い出したわけです。それはまさに公民権運動の観点からみると、トーケニズムであったわけです。 初期の研究を整理するうえで、セガーらはシリーズの最後1981年にはマスコミ論に照らした考察を行っています。 第一に、社会学者や人類学者が定義するエスニシティーの概念に触れ、メディア表現は「言葉の使用や文法など、そして服装のスタイル」でエスニシティーを表しても、「家族関係の行為や経済、政治、教育、宗教制度」などについては表さない、限定した文化的露出をすると指摘しています。 第二に、社会的学習のモデルとしてのテレビを「ポプリ(音楽形式/雑集/香りのつぼ)」と表現し、影響の検証の必要性を説いています。「サラダボール」でもなく「メルティング・ポット」でもなく、「ポプリ」と言った背景には、統合と除外のなかでうまれてきた構造性やレイヤー性を読み解くことができるでしょう。 こうした歪んだアメリカ社会の表現の国際的影響力についても述べています。 第三に、内容分析結果は、メディアが表現を通じて行う「概念の知的なフレームワーク」の生成を分析できるとしています。さまざまな項目での比率における差異の消滅が、エスニシティの特質や明瞭さの消滅と結びつくとき、テレビは多様な視聴者とのつながりを失ってゆくと示唆しています。 つまり、テレビは「Limitation/Exception/Disconnect」の概念から想起される世界/場所であり、そこにおける人種主義をみているわけです。 10年を比較研究した結果の最後の言葉が、「一般的なアメリカ社会の文化は、多くのやり方で、「人種」「民族性」によって境界線を引くことを超越しているが、しかし、アメリカのそのす「統合」については、(テレビのなかで)見ることができなかった」というものであることは示唆深いです。 10年の黒人観や少数民族の表現は、根底にある動きづらい人間観が、公民権運動さえもキャンペーンとしてとらえるテレビによって、かえって浮き彫りにされました。 同様の知見は、資料としてお配りした、内容分析研究の文献リストにあげたような調査でも繰り返し指摘されています。 なお、ここでは、集めた文献から、「少数派」や「黒人」登場の割合をリストアップし、図式的に表現してみました。これが表*です。うきつしずみつつ.....がよく分と思います。 さて、ここでは、テレビの効果について触れることはしませんが、1980年代には、こうした内容分析調査結果を内容分析し、サマリーを作成し、その学術的貢献をたしかめるものも多く発表されました。 Poindexterらは、テレビと「少数派」の子供の社会化に関するコンファレンス/論文で、近年の2300以上にのぼる社会および行動科学で、「少数派」や貧困に対する注目すべき研究は7%程度であることから、テレビと関わる「少数派」への関心は、無視されてきたのだという論点を確認しています。 さて、1990年代に、内容分析研究の方法は、より詳細な記述にるシークエンスの分析と、数量化を融合させた各論によって、多メディア化や現代的な目に見えづらい人種主義を明らかにしてゆきます。 1993年に、Licata, Jane W., Biswas, Abhijitらは、「黒人」の表現について、「タイピカルな番組」と「黒人向け番組」の広告を比較しています。その結果、「黒人」を主役とした広告は「黒人向け番組」では非常に高い割合でみられました。また、広告は「タイピカル」に見せるよりも「職能」によって表現していることが明らかになりました。また、「黒人」の製品との相互作用では、価値の高いものよりも価値の低いものと相互作用するという傾向がみられたいいます。 この調査は、かつてコメディーとドラマを比較したときのように、番組そのものの特性に焦点をあてるのではなく、視聴者という「受け手」を考慮にいれた研究といえましょう。 1990年に、Zieger, Dhyana, White, Alisaらは、ニュースの通信員の内容分析から、「黒人」の通信員は、「ネットワークで、みることのできる男性/女性のなかで、もっとも見ることができない」といいます。彼らは多人種社会(MultiracialSociety)における通信員は、ニュースストーリーをパブリックから各人種集団へ伝達し、社会参画の切っ掛けになるとの問題意識でこうした研究を行っています。 1990年、エントマンは、ローカル局のテレビニュースが、旧来の人種主義(「黒人」が劣っていて差別するものであるというような信念)を減少すると同時に、近代的な人種主義(「白人」の財源やシンパシーに対する「黒人」の連続する要求への憤慨に関わる反「黒人」傾向)の生産を行っているのではという仮説のもとにニュースの内容分析を行っています。 この研究は、文化の変化に対するマスメディアの行動と過程.....つまり近年の反「黒人」という人種主義の形成について....の批判的な事例を提供しています。結論 以上、1960年代から1990年代まで頻繁に行われてきた北米における「人種」表現の内容分析研究の成果を、具体例をあげつつ概観してきました。 現代日本でこれらの成果を応用する上で、今回のレビューは次のような視点を提供していると思います。 第一に、テレビの産業変化と内容の変化の関わりを考察することで、テレビの人種観の姿勢とその問題点が明らかになることです。こうした研究は、制度としての放送の歴史研究や、テレビの外国輸入番組が減少してきたことを明らかにする研究や、広告における外国人スターの増加に関する研究でこれまでの蓄積があります。これらの蓄積を、エスニシティという枠組みで再解釈することが必要かと思われます。 第二に、公民権運動を背景に、内容分析調査は単にテレビの記述やプロフィールに終止しているのではなく、現実に起こされたアクションについての社会学的機能の充足についての視座を提供することです。国際化をめぐるアクションについても、メディアの分析から、現代の日本の構造を分析できるでしょう。 第三に、公民権運動やそれに続く女性運動のなかで、テレビの人間像に変化があったことが内容分析で明らかになりました。動的な社会のなかで人間像の変化がみられた事例は、社会背景の違いを超えてメディアの人間像に関する分析に貢献すると思われます。国際化のなかでの日本のテレビにトーケニズムはないのか、今後も調査が続けられる意義を、アメリカの研究は示しています。 第四に、公民権運動で掲げられた要求が、アメリカの内容分析調査の調査項目に象徴的に反映していることが明らかになりました。国内の内容分析研究では、このように背景となる社会現象に対する経験的な研究に基づくことで、独自の問題対象と知見を得られると提言ができます。例えば、ニューカマーとよばれる外国人の二世の子供たちへの社会化に関する研究などが、メディアとの関わりで分析される必要があるでしょう。
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