--楽器の由来と歴史 「ダン・バウって?」--
 「ダン・バウ」は「Dan Bau」と綴ります。普通、これに楽器を指し示す接頭語「Cai」をつけて「Cai Dan Bau/カイ・ダン・バウ」とヴェトナム語で表記・発音します。
 「Dan」は楽器を指し示し、また、「演奏する」という動詞をも表します。ヴェトナムの楽器は、「ダン・チャイン」「ダン・トールン」「ダン・ニ」....など、みな最初に「ダン」がつきます。ちなみに「ダン」だけでギターの意味も表します。
 「Bau」は幅広い意味があります。第一の意味として「ひょうたん」の意味があります。これは楽器の持ち手の下部分についている共鳴機が「ひょうたん」だからです。第二の意味として「妊婦」という意味があります。「バウ」とは「お腹が出ている」という意味なんですね。ダンバウは「ファット」な音がするわけです(冗談)。
 ヴェトナム人は「ダン・バウ」の音色を悲しい音と感じるようです。その理由はどうしてでしょう?それを知るには、「ダン・バウ」の、そして「ヴェトナム」の歴史をひも解いてみる必要がありそうです。
 ここでは、日本語で紹介された各種資料から、「ダン・バウ」の由来と歴史をご紹介します。

-- ダンバウとはどのような楽器?:書籍編 --

平凡社編集/日本ビクター発行の「音と映像による世界民族音楽大系」より

  • ダンバウは「多彩なベトナムの楽器の中でも、とりわけ珍しい」楽器だそうです。
  • 漢字表記では一弦琴(カイ・ダンバウ)とあり、()付けで「独弦琴(ダン・ドク・フエン)」と書かれています。
  • 「盲人の歌」に用いられた楽器で、ほかに二弦、長鼓などの楽器とともにアンサンブルを組み、各地を巡回し、広場や盛り場で演奏されたとのこと。ダンバウで語られた歌は、歴史。道徳哲学、愛情などだそうです。
  • 民衆に愛されたこの楽器は、次第に改良された独奏楽器として用いられるようになったそうです。




平凡社編集/日本ビクター発行の「音と映像による新世界民族音楽大系」より

  • 「今日ではみな、アンプをつけて音を増幅しているが、もともとの「盲人の歌」に使われていたような自然のままの音色を求めて、改良しないダンバウによる音楽会も持たれている。実際、アンプがなくても、ホールのすみずみにまで、そのかそけき響きが行き渡るというのだから驚くではないか」とあります。




日本コロムビアの発行するシングルレコード「コロムビア世界民俗音楽体系(アジア編)北ベトナム」の解説より

  • 楽器名にあるバウはひょうたんのことで「ダンバウとは瓜琴のことである」とされているそうです。
  • 1000年の歴史を持つこの楽器は、増幅機の役割を果たす瓢箪に竹の柄をつけ、細長い箱の上に弦を一本張ったものだそうです。
  • 奏者はこの弦を右手のピックで弾くが、左手の竹の柄を動かすことによって張力を加減しながら、余韻のなかで旋律を歌わせるそうです。
  • 古民謡や詩の朗吟など、日との声に近い形でので感情を表現することができるのです。
  • かつて盲目の吟遊詩人の愛器であったこの楽器は、今では民謡、とくに愛の歌の演奏によく使われるようになっている。「娘よ、一弦琴に耳を傾けるではない。この弾き手に抗し得なかった娘は多いのだから」という諺があるそうですよ!.....そんな経験はまだありませんが(笑)



-- ダンバウとはどのような楽器?:ききとり編 --


-- お世話になった方々 --


- Nguyen Minh Thanh -
(グエン・ミン・タン)
 音楽家。専門はダン・ニ(ダン・コ)というヴェトナムの胡弓。古式演奏の奏者として高い評価を得ている。ホーチミン市音楽院を卒業し、現在はフリーで活躍中。演奏のかたわら、ダン・コ/ダン・バウ他、ダン・グエット/ギター・フィムロンなどの教育活動にも携わる。「Hai Phuong/Tieng Dan」収録の古楽で名演を聞くことができる。写真右はNgan。




- Tuy -
(トゥイ)
 在ホーチミン市・日本語教師。1992年から渡越8年目。3年前からMinh Thanh氏に師事。桐のダンバウを製作するなど、ダンバウの歴史文化に精通し、本年度はヴェトナム語によるダンバウの解説本を出版している。日本人。




- Ngueyn Huu Thieng Nga -
(グエン・フ・ティエン・ガー)
 在シカゴ・コンピューター技術師。ホーチミン市音楽院でダン・チャインを専攻、副専攻はダンバウ。カナダやシカゴでは在米同胞姉弟に音楽教育を行うかたわらで、Asia Entertaimentのイベントなどに出演。マルチな才能を誇る。




- Keiko Todoroki -
(等々力けいこ)
 現在は在東京で、家族とともにハノイに赴任して3年。2年間、ハノイ音楽院教授のKim Thanh氏にダンバウで師事し、多数の音楽家との共演。日本帰国後も依頼公演多数で、初等教育の異文化教育も担当している。




- Aki Nishimura -
(西村 唖記)
 ヴェトナムとは全然関係のないNOTE TO TONE h.p.の主催者の1人。Nganがヴェトナムの話ばかりするので最近は避けていたのだが捕まってしまった。MIDI プログラミング とギター、作曲が趣味だが、一円もらったことのないアマチュア。





- Nguyen Thi Hai Phoung -
(グエン・ティ・ハイ・フォン)
 音楽家。専門はダン・チャインで、若手のNo1奏者として右に出るものはないほど有名。ダンバウ奏者としても名声を得ている。ホーチミン市音楽院を卒業し、現在は同学大学院在学中。作品をは多数で、代表作に「Hai Phuong/Tieng Dan」がある。世界各地を公演し日本へも2度公演。





- Issui Minegishi -
(峯岸一水)
 音楽家・清虚洞一絃琴宗家四代。日本の伝統楽器である一絃琴の師匠で、ヴェトナムへのダンバウ留学経験も持つ。1ケ月の間、Hai Phoung氏に師事し、一絃琴の公演でのダンバウ演奏や、ヴェトナムでの一絃琴紹介などで活躍している。
ホーチミン市で活躍中の音楽家 Nguyen Minh Thanh 先生にダンバウについて聞いてみました。筆者はMinh Thanh先生にダンバウを習うとともに、ダンバウの歴史文化について聞いてみました。またホーチミン在住日本人のS氏にはダンバウの歴史文化にたいへん多くの教示をいただきました。今回はNOTE TO TONEの共作者の西村唖記さんとの対談形式で、こうした話をまとめ、ダンバウの歴史と構造について迫ってみたいと思います。(MS-IE ご利用の方は対話の左右がずれることがあります。本頁はNestscape推奨です。ご了承ください)

Nhat Cat Chieu Ngan
西村 唖記
こんにちわ。

 この対談もずいぶん久ぶりですけれど、今日のテーマは「ダンバウ」です。






 一応、知らない人のために紹介しておくと、西村唖記さんはバンドでギターを弾いている人です。他にキーボードで自宅録音して、作詞作曲などをしています。このホームページでは、MIDI音楽を作って無償提供したページが人気ですね。






 そのあたり楽器が出来ても民族楽器は知らないっていう視点から、なにか質問してもらえれば、うれしいですね。僕がMinh Thanh先生などに習った知識で答えてみよう、そしてダンバウについて理解を深めよう、っていうのがこの企画です。
どうも〜〜(^^)/


 懐かしいな〜。ずいぶん長いことやってなかったからなぁ。企画だおれ(笑)。初期のNOTE TO TONEを知っている人しかしらないって感じだけど(曝)。で、そうそう、唖記もダンバウのために一曲書いたことだし、実はいろいろと聞きたいことがあるだよね。







 趣味程度に音楽やってます。でも、Ngan君よりは長いと思うけどね(笑)。ただ民族楽器についてはチンプンカンプンです。Ngan君の家でちょっと触ったけど、なんじゃこりゃって感じでした。












[回答1] エレキ化は近年のこと ダンバウのエレキ化は、エレクトリック・ギターが開発された後のことです。ダンバウのピックアップはギターに使われているものが流用されたものですからね。


(ダンバウ裏面ピックアップ)

 正確な年代は、ヴェトナムの研究者の間でもよく分かっていないそうです。ギターのエレキ化が始まったのがどこだか知らないのですが、すぐにヴェトナムまで伝わったとは思えないので、もう少し後なのでしょうね。一説によると、ヴェトナムを植民地支配していたフランスや攻め込んだ日本が持ち込んだという話もあるようです。



はい。









 あ、そうなんですか?このあたりの話は時代考証してみる必要がありそうですね。1930年代からピックアップ付きギターがあったとすると、1940年代中盤のヴェトナムではフランス軍がいて、仏印進駐してきた日本軍がいて、その日本軍の武装解除にきた中国・イギリス軍がいて、フランスは再びサイゴンを占領して、みたいな時代だったわけです。日本から、あるいはフランスから直接に伝わったということは置いておいて、エレキ化というアイデアがこの時期から出てきたいたというのは考えられることかもしれません。






 さっき話に出たソリッド・ボディも1940年代後半の開発で10年近くたっていることを考えると、この時期というのがもっとも考えられやすいのかもしれません。特に、1954年にディエン・ビエン・フーでヴェトナムがフランス軍を破ったり、南北ヴェトナムに分裂したりと、さまざまな意味でこの時期は人の移動が多かったはずですから。
 人の移動に加えて、エレクトリシティによる大衆化、あるいはメディア化というものにあらわされているような空間を超える性質が、ロック音楽のような大衆音楽を産むだけでなく、ダンバウのような伝統楽器にもみられたというのは実におもしろい現象ですね。









 そのへんはよく分からないですねぇ。南ヴェトナムでアメリカの応援があったとはいえ、盛んに米軍が入ってきたのは1960年代中盤ですからね。たしかに、エレキギターを使ってライブをしている映像なんか見ますが、ダンバウのルーツとしては遅いんじゃないかと。アメリカの影響とは言えないですね。あと、北ヴェトナムでエレキ・ダンバウが響いていたとしても、別に戦争していたからといって他の西洋諸国とまったく隔別していたわけでもないし.......。1950年代後半から60年代前半に開発されたと言っても別におかしな話ではないと思いますが。







 そうですよね。ダンバウはソリッド・ボディでできているという謎がありますからね。
 ここで思ったのですが、ダンバウのエレキ化について調べるとき、ソリッド・ボディーによるエレキ化以前のカッコ付きの「エレキ化」、つまりアコースティックのダンバウをマイクで拾ったり、他の種類のピックアップが用いられていなかったのかどうか、こんな点から調べはじめないと結論にはたどり着けそうにありませんね。






 ちょっと恥ずかしいですね(笑)。でもまあ、よくダンバウの音のイメージには、中域がクイ〜〜ンと伸びているサウンドっていうのがあると思いますが、それは実は以外にも新しい音の種類なんだっていうことは分かりますね。









 まあ、そういうところはありますよね。日本の新聞が政治言語をそのまま翻訳しているだけかとも思いますが.......。










 う〜〜む、しかし、それは唖記さんが今、アメリカの例を出して言ったように、どんな文化であれ、伝統であれ、真空中に生まれてくるわけじゃないですからね。そういう意味では特定の政治体制、つまり共産圏ということとはあまり関係がないんじゃないですか?っそれよりも、「心」っていうのは、もっと根深いところというか、低く響いてくる声のように低音のように鳴り響いているもの、そう丸山真男の文化論じゃないですが、言語とかね、そんな部分があるのかなぁと思いますね。マイク使ったからといって、劇的に言語が変わるわけじゃなし。日本の伝統音楽だってそうですよね。音楽をイデオロギーに染めて考えたり、表象として聞いたりするのは、いささか古いかと。
 ただ、ちょっと面白い説明があります。キングレコードの「ベトナムの民族音楽:音色変幻」(KICW1630, 東南アジア36, 1999年)のCDの中の解説です。

「伝統楽器を、いかに今日のものとして活用させるか、また改良することができるか、という命題を持っていたのは、旧ソ連や中国など社会主義国に共通してみられたことである。特に歌舞団など、国の代表として海外派遣されるような人たちは、伝統音楽と一般大衆への文化宣伝との兼ね合いのなかで様々な試行錯誤をくり返してきている」

 こんなことが書かれていました。作られた伝統というよりも、その改良への努力という部分に注目すべきなんだと思います。こうした考え方は、マクドナルド化した日本では、充分に参考になりますよね。
 おっと話がそれちゃいましたよ。

[質問1] いつからエレキなの?  まずね、この楽器ってエレキ(エレクトリック・電気で増幅する楽器)なわけだけど、民族楽器でエレキって珍しいよね。まあ、日本でも琵琶にピックアップつけたりする人もいるけど、ピックアップつけなくても使える楽器にピックアップをつけているんだと思う。アコースティック・ギターもそうで、エレキにしなくてもいい楽器にもつけているということ。でも、このダンバウって、エレキにしないと音が聞こえないしょう?いつぐらいからエレキ化されたものなの?








 すると、ギターのエレキ化というのは1930年代頃から見られたって言われているけど、その頃のことなのかな?











 そうなんだ。あれ、でも日本の敗戦って1945年でしょ?ちょっと時代が合わなそうだけど。だって、1930年代のエレキギターってマイクのようなピックアップを付けたジャズ用のギターみたいなやつだし、ソリッド・ボディ(胴が響かない固い木でできたギター)のギターができたのは1940年代後半だよ。Ngan君のダンバウについているピックアップは、どうみてもソリッド・ボディー用のピックアップを改造したものだよね?














 1950年代には西洋ではエレキブームのようなものが来るよね。全盛ってやつ。日本は1960年代だったっけ。そのあたりということはないかな?









 それは言えてる。








 そうだね。で、実際には北と南に分かれていたわけでしょ?北ヴェトナムと南ヴェトナムって影響を受けた文化とかも違うってイメージがあるけど。南はアメリカの応援があったんでしょ。エレキ化も分かるけど、北ヴェトナムでもエレキダンバウは使わていたの?














 ソリッド・ボディのエレキギターがヴェトナムに入ってきたのが早い時期だったとして、そのピックアップを改良した上で、さらに別の楽器に付けるまでにはそれ相当の時間がかかるでしょ。アイデアそのものしかり、楽器には形というものもあるし。











 普通に考えれば、そっちのほうが先でしょう。あってあたりまえ。で、結局は分からないということだよね(笑)。どうするの、こんな勝手な話しておいて、ヴェトナムでは正確な年代が分かっていたら(笑)







 唖記はね、ヴェトナムのことあまり知らないし、当時のことはヴェトナム戦争っていう名前ぐらいしか知らないんだ。世界史とか嫌いだったからさ(笑)。でも、最近は新聞とか読んでるし、中国人の知り合いもいるし、北朝鮮のニュースとかよく見るよね。そんなとき、ふと、思うんだけど、ヴェトナムも共産主義の国だよね。共産圏の国はしばしば自国の技術革新について独特の物言いをするじゃない?
 アメリカがエレキギターをまるで偉大な業績かのようにコマーシャルに広めて今はさもこの楽器がなければロックができないかようになっちゃった。ダンバウのエレキ化だって、もしかしたら成功したから今があるって感じの部分はないの?つまり、エレキ・ダンバウの近代の音でしょう?それは、こうした政治体制の文化的な政策の一つというか....もしかしたら、作られた伝統っていう部分があったりするんじゃないの?
 Ngan君はこのホームページでも「ダンバウはベトナムの心」って書いているけど、本当にそうなのか、そのあたりを聞いてみたいなって思うね。






















(CDジャケット:ベトナムの伝統音楽)










[回答2] 昔は竹で、それ以前は地球でいいえ。このページの上のほうで、ダンバウには1000年の歴史があると書かれた著作があると紹介していますが、1000年前はぜんぜん違う楽器だったそうです。昔は竹で、それ以前は地球で鳴らしていたそうです。



 まずは初期の頃の地球で鳴らしていたダンバウからお話しましょうか。実はこの楽器はダンバウのルーツですけど、名前が違うので、ダンバウだとは言えません。

 はい。
 昔はですね、「ひも」の両端を大地につけて、大きな穴を掘って、「ひも」を弾いたのだそうです。その穴に「ひも」の響きが共鳴するわけですよね。
 ご想像のとおり、巨大な楽器になりますので、「弾く」というより、「たたく」という感じで音を出していたそうです。それでも、多くの伝統楽器がそうであるように、周囲にいる人しか音を聞くことができない楽器だったようです。ムラの楽器ですよね。
 いえ、弦楽器ですので。
 で、今のダンバウのようにハーモニックスで演奏するというスタイルではなかったんです。音程は、この「ひも」に柱で支柱をたてて張った状態にして、左右の張力を変えることで作ったようです。分かりやすく言えば、一本弦の「箏」ですよね。


 いや、あえて言うなら「一弦箏(いちげんそう)」と言えるかもしれないです。というのも、今のダンバウには、この張力を変える柱がないですよね。こういう柱つきの楽器は「箏」、柱なしの楽器が「琴」だからです。


 柱を1本たてれば二音階、2本たてれば3音階、と柱の数で音程の数も決まります。




 う...................忘れた(^^);;;  .........でも.....たぶん横から....いや、穴の下かた柱が立っていたんじゃないかなぁ......今度、このあたりに詳しいホーチミン市在住の日本人S氏に聞いてみます。余談ですが、S氏はダンバウの解説本を日本人なのに、ヴェトナム語で出版したつわものですから。僕もそうとう教わっているんですよ。

 そうそう、話をもどすと、こうして強く張った弦の中心部分を上から棒で叩くと「ビヨ〜〜ン、ミヨ〜〜〜ン」と複雑なハーモニックスが交じり合った弦の音が出ます。叩く場所を変えると、音程そのものは変わったように聞こえませんが、ハーモニックス成分が変わって独特の音の変化がみられるんです。あくまで「弾く」ではなく、「叩く」です。打音ですね。
 ちょっとダンバウで実験してみましょうか。

♪♪♪♪♪♪



 そうそう。口琴(こうきん)ですね!空洞で鳴らすという意味では、地球も口も似た感じですよね。木や金属ではなくて、「ひも」を鳴らすという点が違うぐらいです。
















 あれ、そんなことはあったんですね。知らなかった。すると、ボディーが固いほうがハーモニックスが出やすいんですか?









 そう言われみると、そうですね。
















 そうそう、木の棒だったと思います。
 そういえば、タン先生はよく「体を機械のようにしなさい」と言っていましたが、音程を正確にするという意味に加え、自分が弦と一緒に揺れていたのでは、弦そのものの伸びを消し、ひいてはダンバウ独特のハーモニックスの響きを消してしまうというのもあったのかもしれないです。





 いろいろ考えてみると、「琴」と「箏」とか、「穴で響き」「ソリッド・ボディー」と、ぜんぜん違う種類に感じられる二つの楽器に共通点が出てきましたね。たしかにこの「地球箏」はダンバウのルーツなのでしょう。

 しかも、どこでも誰でも、簡単に作れて、簡単に鳴らせる楽器という点は楽器の原初的なスタイルですね。また、共同体の中の非常に小さな集団でのみ聞かれる音楽という意味でも、原初的な音楽のありかたの一つですね。



ほいじゃあ、次の質問かな?
 [質問2] 昔からソリッド・ボディなの?じゃあねえ、さっきソリッド・ボディの話が出たでしょ?Ngan君は「謎」だって言っていたけど、これって昔っからこうなの? まあ、形をみる限りは100%ソリッドとは言えないけどね。でも、弦がボディーからこれだけ離れていれば、まあ......。







 ちょっと待った!竹はいいけど、なんじゃその「地球で」ってのは?




 ちょっと、もったいぶってないで、地球のことを話してよ!



 うむむむむむ............それはすごいソリッド・ボディですね。なんたって地球だもの。



 鐘みたいなもんかな?



 まあ、弦楽器というのは打楽器だからね。





 一弦琴(いちげんきん)ってことだね。





 ふむふむ、まあ違う楽器ということだ。





 大地に穴が空いているんでしょう?どうやって柱を立てたの?


 調査が甘いね:))
















 ああ、これってあるよね、唖記の友人が口でならすこんな音のする楽器を使ってた.......たしかアイヌの楽器で.......






 なるほど〜〜〜。そうか、ダンバウっていうのは、もともとがソリッド・ボディーとホロー・ボディー(木などの共鳴体をもつ)の中間の発想だったわけだね。地球っておおげさだけど、地面に掘った穴にしろ、人間の口にしろ、その穴以上には響かないわけだからね。体も地球ももちろん響くわけだけど、実は音を吸収するほうが大きい。エレキギターのソリッド・ボディーも同様の発想なんだよね。実はエレキギターって、ボディーの重みによって、必要以上な弦の振動がボディーに響かないようにすることで、サスティーン(音の伸び)を得ている。
 もしも、この地球ならしの楽器で、木のボディーなんてあったら、キンキンしてその叩いた音のハーモニックスの融合は汚いだけになるだろうし。



 一概にそうとはいえないけれど、もしもメロディーのある弦の音を「響き」、ハーモニックスの音を「サスティーン」と考えるなら、固いボディーのほうが、「響き」が「サスティーン」を消さないので、よりハーモニックスが出やすいですよね。実際、ギターよりもベースのほうがハーモニックスはよく出るでしょう?アコースティックギターのハーモニックスは小さい。アコースティックギターの弦はボディに響いていい音がしますが、サスティーンは短いよね。


 一方、ホロー・ボディの楽器は、弦の振動は弦とボディーがくっついている部分、つまりペグとブリッジの部分を伝わって、ボディー材を鳴らすようになってる。エレキギターの場合は、この部分から音がボディーにもれないように、ブリッジが浮いていたり、ボディーとは別の素材を使って部品を分けたりしている。サスティーンが欲しいときは、こういうボディーと弦が接する部分に弦振動が直接に伝わらないようにするための工夫が見られるんだよね。もちろん、その目的だけではないけれど。地球でならす楽器の場合は、原初的な楽器でしょ?細い木の棒かなんかで固定されていたんだと思うんだけど、それも、後付けで考えればそういう役目があるわけだよね。










 そう思う。ギターだって楽器を揺らさないで、まるでピアノが固定されているようにギターを抱えられるようになるまで練習するわけだから。









[回答3] 「遊民の楽器」ダンバウへ  はい。では、次に竹のダンバウについての話です。実はダンバウは上の文献調査で書いたように、「遊民の楽器」というか「道芸の楽器」というか、つまり移動する民の楽器という性格が非常につよいんですね。この点で、現在のダンバウの歴史に、奏者の観点からの歴史を加えたところに、竹製のダンバウというものが位置してくると思います。


 そうですね。それはまあ、比喩で、竹の「葉」がなるようなということだったんですが......。


 実はいくつかダンバウには起源伝説のようなものがあるんですよ。ちょっと紹介ていみましょう。まずは、現在、信憑性があると言われている伝説からです。

 まあまあ(^^);; 。じゃあ、神話としておきましょうか。民話のような形の変わったものもあるので便宜的にです。

 むかしむかし、あるところに、親孝行の娘がいた。娘の母親は田舎に帰りたいが、足が悪くて、1人で行くことができない。遠い遠いさいはての田舎である。そこで娘は母親を連れて、道なき道を山を越え河を渡り、母親の故郷へ向かった。日に日に持ち金もつき、貧乏のなかでの旅であった。ある日、長旅の途中で立ち寄った村は村びとは親切で、幸運にも宿も申し受けることができた。その親切に一夜の宿を得ていたとき、母娘は村びとから相談を受けた。「この村のしきたりで、今夜、年に一度、生け贄の人間の生きた目を捧げなくてはならない。足の悪い母のほうならの先は長くないから、その目をいただけないだろうか」。母親はしばし迷いながらも、目を捧げることにした。しかし、親孝行の娘にそれはとうてい受け入れられない。そして、自らの目を村びとのために捧げたのであった。足の悪い母親を目の見えない娘がかばいながら長旅は続いた。貧乏で食べられないとき、娘は自分の身体の肉を喰わせた。やせこけて何も食べられなくなると、竹の葉をそっと食べた。そんな身を切るような親孝行に、神様はせめてものなぐさみにと、竹で出来た楽器をさずけた。その楽器は悲し気な音のする楽器であった。娘の気持ちを表したようなその楽器の音色に、旅の途中の村々の人々はいたく感動した。少しずつではあるが、その音色に銭を投げるものがいた。宿を出すものがいた。こうして母娘は田舎への旅を続けることができたのである。田舎へついたときに、母親は涙して、礼をいうた。娘はこれまで涙を見せずに旅をしてきたが、その言葉に見えない目から涙を流した。そのときである。娘の目はふたたび見えるようになった。この目の見えない娘であったからこそ、この竹でできた不思議な楽器を弾くことができるようになった。それから、母娘はこの楽器を持ち、全国を旅して歩き、幸せに暮らしたとさ。

 え〜っと、ちょっと分からないヴェトナム語で聞いた話な上、前述のS氏からのっ翻訳/解説を加え、記憶でメモしたものなので、もしかしたらねじ曲がったり、装飾されたりしているかもしれませんが、これがダンバウの起源伝説です。


 失礼しました(^^);; 

 さて、この伝説なんですが、非常に儒教的というか、根本には「親孝行」のテーマが貫かれていますね。  しかし、単純にそれだけの話とは思えない深い題材が散りばめられています。まずはその一つが「遊民」伝説ですね。



 いやいや、「遊」といっても「プレー」の遊びではありません。各地を転々と渡り歩くという意味、つまり「漂泊する民」ということです。この伝説を古代社会の伝説であると考えるなら、そもそもこの娘の母親は娘が小さいときに漂泊して別の土地に来たものであると考えられます。実はこの伝説は始まりから「遊民の民」の伝説だと考えられるわけですね。
 ヴェトナムも日本同様に、古代社会は村落共同体を営む農村社会なので、このようなよそものを受け入れることはあまり考えられないものです。それ以上に、こうした人々は恐れの対象でさえあったのです。
 まあ、それはそうですね。しかし、足で移動できる範囲で作られた村落の村人からみれば、こうした人は恐れの対象だったわけですね。目を取る村では「一年に一度の生け贄」という話が出てきますが、実はテクストが逆転しています。このような移動する民を恐れる村人は、一年に一度「祭り」という形で、外部からの人間を迎えるような風習があると言われています。逆に「遊民」たちはこうした時にしか村に入ることは許されていません。「遊民」たちはこうした祭りのときに堂々と村に入ることができ、米など平地でできるものをもらいます。上の話では、宿と食事なっているようですが、たぶんそれは米の表象かもしれません。そして、そのお返しになにをするかというと、それは幻術であったり雑芸であったりするのです。実はこうした理解できない幻術や雑芸がゆえに、恐れと敬意が結びついたような複雑な感情が生まれるわけです。

 そうですね。ページトップの文献調査でも、「盲目の吟遊詩人の楽器」であることが指摘されていましたが、日本の琵琶法師とか山伏とかといっしょですね。盲人はしばしば目が見えないがゆえに、神の世界と現実を結びつける言葉を話すものとしてとらえられたりしました。ダンバウのような楽器はそうした神の言葉とか、惑わす幻術のようなものとして考えられたのでしょうね。むろん村落共同体における対外交流や交易も同時に担っているともいえます。しばしばこうした人たちが現実にもたくさんのお金を落としていったり、幸せを呼んだりするからです。だから祭るわけですよね。よくこうした「遊民」のことを「異人」といいます。


 いいえ、いいえ、それも違います。ここでいう「異人」っていうのは国とかそういうことではなくて、村落共同体以外の人たち、という意味で「漂泊の民」のことを指すんです。さて、ここで非常におもしろいのは「遊民」の登場するこの伝説に、「異人殺し」伝説が入っていることです。「殺し」といってもこの伝説では殺されてはいませんが。畏敬の念を持たれる異人たちは、しばしば祭られるとともに、殺されたり虐待されたりします。実はこの祭りと殺しは鏡のような関係なのです。おわかりのとおり、一年に一度の祭りの「生け贄として目を授ける」というテクストになっています。異人を優待しつつ、殺害/虐待する、この二面性にこそ、古代村落共同体の残忍さと狭さがあります。しかし、実はこの後に、母娘はその生け贄によって、再び漂泊し、今度は村人を喜ばせる祭りの主体となっていることが分かります。お分かりのとおり、この「目の生け贄」は、この母娘という「異人」自身に捧げられたものでもあるわけです。
 竹の楽器、つまりダンバウが登場するのはこうした過程です。神様からの授けものというテクストにより、こうした民と民の関係を明らかにすることがありません。しかし、テクストの構造は異なる民と民を結び付けたもの、神様からの授けものであるダンバウ、というふうになっています。




 そうなんですよね。実はヴェトナムは他民族国家であって、またキン族という民族が多いです。ダンバウはこのキン族の楽器と言われています。それぞれの民族がそれぞれの個性豊かな楽器を持つわけですが、すでにした穴をほって鳴らす地球箏の話からも想像できるように、山岳民族の楽器ではなく、平地にする民族の楽器であることは想像できます。このような地球箏には、それなりの労働力が必要なはずであり、ある程度のまとまった共同体が必要です。キン族は平地に暮らす農耕民族ですし、竹や瓢箪(ひょうたん)を楽器に用いている点でも、低地から中地にかけて地域で手にはいる素材から裏付けられます。一方では、この伝説にあるように、民と民の間にある楽器として、つまり、ヴェトナムの楽器として伝説化されています。こうした点ではまさしく「ダンバウはヴェトナムの心」といえるかもしれません。





 もしかしたら、そういうのもあるかもしれませんね。実際、ヴェトナムの有名な文学にはそうしたテーマのものもあるんですよ。







 はい。実はそれにも伝説があるんですよ。





 まあまあ、聞いてやってくださいよ。

[質問3] それじゃあ、どうやって持ち運びしたの?地球箏と違って持ち運べるという竹のダンバウは楽器にとって大きな変化なんだろうけど、その辺の話を聞きたいね。









 Ngan君はトップページで、ダンバウの音のことを「竹のせせらぎのような」って書いたよね。


 それはどちらかというと、地球箏の雰囲気だなぁ。




 Ngan君、信ぴょう性のあるものを伝説と言わないんじゃないの?



















































 あんた、それじゃ、信ぴょう性もなにも、あんたが民話してるんじゃん!



 ウルウルウル、、、、涙、涙。感動しましたよ〜〜〜〜


 遊びじゃないよ〜、親孝行の娘さんなんだよ〜〜〜













 恐れって、恐いのは目を取っちゃう村人だよ〜〜。

















 へ〜〜、で、その雑芸であり幻術であるものが、ダンバウだというわけだよね?









 え?、じゃあ、ダンバウってヴェトナム人の楽器じゃないの?外国人の楽器なの?




























 う〜〜ん、なんだかヴェトナムの楽器がヴェトナムの楽器であるっていう感じがしてきたよね。

















 そういえば、ヴェトナムって中国とかフランスとか、日本もそうだけど、列強とか言われていた国に支配されたり戦ったりしていたわけだよね。そんなんで、「漂泊する」っていう出来事に感じるものがあるっていうのはありそうだなって思った。






[質問4] なんで竹?なんで瓢箪(ひょうたん)? そういえば、なんでダンバウは竹で作られるようになったんだろうね?瓢箪(ひょうたん)も使うっていうことだけど、それは共鳴のためでしょう?




 まだあるんすか〜〜〜〜〜、眠くなってきたよ、トホホ、
 では、まず瓢箪(ひょうたん)にまつわる伝説からです。



 あ、そうでした。この話は在ホーチミン市在住で日本語教師をしている僕の友人のM氏の友人であるシクロというヴェトナムの輪タクの人から聞いた話です。


 唖記さん、知らないか......自転車タクシーみたいなものです。そのドライバーさんから聞いたんですね。



 ええ、まあそんなもんですね。日本にもあったんですよ。

 さて、瓢箪伝説です。

 あることろに高名な詩人がいた。この詩人はたいそう酒好きで、詩作に煮詰まると、酒をいれた瓢箪を腰につるしては散歩に出かけることがよくあった。この日も同じように散歩をしていたときのことだ。酒に酔った詩人は、手に持って飲み干した空の瓢箪を落としてしまった。そのときの音の響きはたいそう美しいもので、その音を聞いて、詩が思い浮かんだのだという。詩人はそれから、瓢箪を楽器にして詩を作るようになった。瓢箪の楽器とはダンバウのことだ。だから、今でもダンバウは詩を作るための楽器で、自分自身のために弾くのである。






 まさにそのとおりですね。これといってストーリー性があるわけではない話ですが、「詩作のための楽器」よって「自分自身のための楽器」という部分は、上述の文献調査とも合致していますね。民族楽器は、このようにしばしば自身の慰めのための楽器として位置付けられるものがあります。




 う〜〜む、.......ちゃんと弾くと酔っぱらいにはならないんですが........僕の演奏ではそう言われても仕方ないですね(^^);;;
 きっとこの詩人は渋い詩吟を響かせていたに違いありません。



 唖記さん、どっかいちゃいましたね:)ほっといて次の話をすすめましょう。
 こんな話もあります。これはヴェトナム航空発行の機内広報紙「HERITAGE」2000年2月号に乗っていた記事です。この記事はダンバウ製作職人であるハノイ在住のThuoc氏のインタビューです。

 むかしむかし、とある農家でのことだがさ。おんどんは、いつものように背ン中に背篭(しょいこ)さひもでしっかりぃしめかかえて、田んぼにさ向かったとさ。一日のノラを終えたおんどんは、かごを竹のくきに結び付けて、寝てしまっただ。そんときのことよ、風さぁ強く吹いてなぁ、背篭につけたひもに当たって、ヒュウヒュウと音がしたんだ。それからのことよ。みぃんな、絹糸さ使って楽器を作りはじめたんだ。






 いや〜、そのまま訳すと雰囲気でないから、ちょっと昔話風にしてみようと....。失礼。






 う、細かい突っ込み。でも、ヴェトナムでは田んぼの草取りのとき背篭を持って田んぼに行きますよ。刈った草を背中の篭に放り投げていくわけ。それに竹林にきれいな水はセットってイメージがあるけどなぁ。まあ、このへんはよく分からない。先生に聞いた話では、この話はちょっと聞いたことがない、と言われました。同様に、さっきのシクロの人の話も知らないということ。この「HERITAGE」に登場するThuoc氏も「ダンバウのルーツについては不明である」と述べています。
 実際、古いダンバウは竹を縦にまっ二つに割ったものに、瓢箪とそれをつける柄で出来ているものです。瓢箪の中心から絹糸が竹の先端に結ばれています。今のダンバウと構造そのものは同じです。


(参考:竹製ダンバウ、「Heritage」2000年2月号より、クリックで拡大)

 しかし、上記の2つの説話は、竹の話と瓢箪の話が分かれていて、ダンバウの楽器としてのルーツを説明するというより、楽器が出来たきっかけや、楽器の目的、音の感じを物語り風にしただけという感じがします。
 たぶんこういう話はみんなそれぞれがそれぞれに持っているお話で、実際にこれといった正確なものなどはないのでしょう。どの話も、どこかの話のバリエーションになっているんじゃないかなぁって思います。



 それはたいへん面白い作業になるでしょうね。でも語学的にも限界があるし、ヴェトナム独自の民俗学みたいなものを一から勉強しないと..........一応、僕は社会科学を専門として生活しているので、将来の夢ということにしたいですね。ヴェトナムでこんな研究のお手伝いでもできたらうれしいと思いますけど......







































 なるほど。このあたり、ヴェトナムにおける「竹」という植物/木材の位置づけを調べないと分からないですね。竹は加工がしやすく、ヴェトナムの生活のありとあらゆる部分に用いられているようには思います。
 参考になるかどうか分かりませんけど、ヴェトナムの民謡に「Cay Truc Xinh」というたいへん有名な曲があります。「麗しい竹」という意味ですけど、ちょっと翻訳して紹介してみましょうか

  麗しい竹、悲しみの気持ちは竹の茎のように伸び/ 過ぎ去った他の道、岸辺のように/ 姉の悲しみ、どんな場所でも、それはまるで麗しい道また道

麗しい竹、悲しみの気持ちは竹の茎のように伸び/ 過ぎ去った他の道、村はずれのように/ 姉の悲しみ、本当の孤独、それはまるで麗しい道また道












竹の素材の話はこのへんにしておきますか。  


 あ、そうそう、一応、その情報の出所を教えておいてよ。読んでいる人も気になるかもしんないし。





 シクロってな〜に?輪タクっていうのもよくわからん。。。



 あの京都で乗れるやつか?!





















 唖記も歌のための作詞が好きだから、気持ちがよく分かりますね。煮詰まると酒を飲みたくなるんだよな〜。ビール瓶割っても詩は出てこないけど、瓢箪から駒だね。








 酒もそうだよね。その入れ物を使って作った楽器なら、奏でた音は酒の音みたいな。酔っぱらいの音かな?ハハハ、それってダンバウらしいんじゃない?!






 子守唄も酒入りで弾けば大人も眠らせる :))

 ちょっとコーヒー買ってくる。

















 ちょっと、Ngan君、何を訳しているの? どれどれ「Long ago, Farmers went to their fields with basckets strapped to their backs. After work they would lie down ......」ふむふむ。ダンバウの物語だね........って、ちょっとな〜にこの訳!



 だいたいカゴもって田んぼにいくわけ?フィールドは畑じゃないかなぁ?これは大事な訳だよ、だってさっきみたいに田んぼの人たちか畑の人たちかで、ダンバウのルーツが大きく変わるんじゃない?それに竹林の横には田んぼより、畑っかなと思ったけど。

































 地方地方に伝わるダンバウ伝承の話を集めていったら、どれほどおもしろいかもね。古老をいっぱい訪ねてさ。







ははは、Ngan君の夢はヴェトナムでのダンバウの民俗学的社会調査かぁ!その前にしっかり常勤の仕事みつけましょうね(曝)

 ところで、素材としての竹の話に移るけど、やっぱり竹という素材の意義があるのかなって思うんだよね。例えば、竹はとても加工しやすい素材だよね。固い一方曲がりやすいと。それから、中身が空胴だから、響きという点では瓢箪に近いといえるかもしれない。Ngan君の持ってる竹の木琴なんかも、すごくいい音がするし。
 でも、どれだけ響いても、竹という素材はどう考えても弦からボディに響く素材じゃない。丸くてアーチがついているし。弦を響かせようとすれば、弦というピンと平行に張られたものに、よりより面積が当たるものにしたいよね。やっぱり平らになるはず。もちろん、竹の中身のほうの半分を使うならいいけど、それじゃ弾けないし。
 さっきの民話でもあったけど、風の音が絹糸を伝って青竹に伝わったとわけだよね。実はそれは絹糸の音じゃなくて、絹糸の振動エネルギーが竹と接した部分を介して竹の表面に伝わった音ということだと思う。でも、竹のような筒形のものは、ある振動を与えると、筒の長さによって音程が決められてしまう。つまり、ダンバウのように、持ち運べるように切った竹では、ドという音を出したくても、筒はレと響いていることがあり得るわけ。それはそれで絶妙な効果を産むと思う。でも、二つの弦の音が響くのと違い、明らかに違う音がするから、パーカッシブ以上にノイズという雰囲気になる気がするんだよね。さっき竹の写真をみたけど、ダンバウに使う竹は一節だよね。で、竹は一節の間では太さがかわらないわけじゃない。つまり一定の音がするということ。試しに、複雑な形の板を叩いてみてよ。場所によって音が違うでしょ。
 つまり、やっぱりやっぱりソリッド・ボディなんだよね。で、瓢箪というマイクが音を拾うんだ。もしかしたら竹という素材は、「そこらへんにあったから」っていうだけなんじゃぁないかなぁ?





















...........しんみり心に響く詩だなぁ。そっか、竹というのは永遠に続き伸び続ける何かっていう、それは悲しみでも喜びでも成長でもあるような、そんなものとして捕らえられているんだね。
 そう、ちょっと言い過ぎた。素材に心を託すのは人間の文化だね。日本人はなんでも神様を宿らせちゃう。それも一つのあり方。大切にするってことだよね。ヴェトナムでは、竹にいろんなものを見ているみたいだね。

 賛成。








OKです。


 ありがとうございま〜す。




 なかなかよい螺鈿細工は見つからないんですね。たぶん相当きっちりとオーダーして、お金も相当積まないと、よいものは手に入らないと思います。レックス・ホテルなんか高級ホテルに飾ってある螺鈿入り屏風なんて一度見ると、店頭で売っている楽器の螺鈿はちゃちく見えてしまうというか.......。まあ、そんな楽器は極め付けの贅沢でしょうけど。






 昔のダンバウの螺鈿は、ヴェトナムの結婚式の模様です。船に乗ってお婿さんがお嫁さんを迎えに行っています。納めもののお土産をたらふく持っていますね。でも、この螺鈿はちょっとね.........。ダンチャインの螺鈿のほうがいいです。










 そうですね。響きにも関係しているかもしれませんね。彫り物なら凸凹があるわけだし。ちなみに、彫り物のテーマは、弾く側の横部分が「昇龍」、お客さんに見える側が「鳳凰」、柄のある部分の飾りに「草木」と、左端は「虎の顔」、右端は「龍の顔」です。ヴェトナムの民謡でもよく登場する動物などが描かれてます。


(龍の彫り物)

 そうか、ボディーの響きというより、弦の音の伸びを効率よく伝えるほうがいいわけですよね。するとボディーの大きさというのは、さほど音とは関係がないことになるわけですけど、どう思いますか?



















 なるほど、実は、日本の素材でダンバウを作ろうと考えていたので、けっこう参考になります。













 つるつるしていて触った感じもいいですし、光沢の感じもいいです。















 この辺は、もともと竹をきったものだったからというのもあるでしょうね。




 ええ、そうです。


(水牛の角でできた柄)





 うわっ!本当だ!ぜんぜん違う!.....柄の部分に耳を付けたときの音は、ピックアップでダンバウを鳴らした時の音にすごく近い。でも、ボディーの音はなんというか.....。






 なるほど。







 そういえば、僕の琴の先生の三味線もペグは象牙だった....。





 やっぱり、それがないとダンバウという感じがしませんね。





(ブリッジ部分)


(ブリッジ裏ペグ部分)


(ブリッジ横ペグ部分)

 手厳しいですね。





 けっこう高くつきそうだなぁ。

 え、それもダメなんですか?





 そういうことになりますね。





 ええそうです。一応は「ド」の音です。なんでもいいらしいですが。




 そうですね。







 ほうほう.......


























 だからダンバウで音程をしっかりさせるのは難しいんですね。













 そうえいえば、T氏のダンバウはちょっとそんな感じの部品だったような気がします。ハノイで最高級のものを買ってきたらしいですね。




(柄と弦の接続部分)

 そうそう、よく弾いているうちにチューニングが狂うから、以前は柄の周囲を掘ってずれないようにしてみました。









 素材ですね。ダンチャインの調べものをしているとき、アオギリというキリの一種でできていると聞きました。たしかに16弦のダンチャインはアキギリなようです。それから中国から買ってきた小さい月琴も周囲はこのアオギリだと思います。しかし、今回購入したダンチャインは明らかに違う素材のようです。しかも、この素材は、今回のダンバウと同じ素材です。ダンセンも同じ素材でした。どうも、ヴェトナムである程度の高級な伝統楽器を買うと、いずれも同じ素材でできているようなんです。響きが違うからすぐ分かりますね。









 ローズウッドですかぁ.......なんか高級家具ってイメージがありますけど。







 120ドルです。


 お、練習する気が出てきましたか?








 ヴェトナムは木材加工ではたいへん評判が高いんですよ。特に木を曲げるという技術では先進的みたいです。


(弦に面したトップ材)



 前はこの部分には木目にない平版でしたからね。けっこう気に入っています。


 ピックアップについてはどうですか?


(ダンバウ裏面ピックアップ)



 そうそう、いるんですよ、ベース用のピックアップを改造して付いている人とか。音的にはどうなんでしょうね。















 ピックアップカバーから穴の大きさ、などなど考えると、やっぱり美感を損ねてしまいますよね。  
[質問4] 今のダンバウえ〜っと、せっかくの対談で質問ばかりもなんなので、Ngan君所有のダンバウから、現代のダンバウについて考えてみたいなって思うんだけど、どう?



 なかなかいい楽器を買ってきたなって印象。


 まず螺鈿(ラデン/貝の模様絵)細工が入っていないのが好印象ですね。ヴェトナムの伝統楽器はこの螺鈿が本当に美しいんだけどね。







 螺鈿のテーマは動物とか、風俗なんかが多いのかな?Ngan君の楽器は.....ダン・チャイン(16弦琴)は「花・竹・鳥・服・祭事もの」か。これはなかなかきれいだと思う。Ngan君が昔、持っていたダンバウは「風俗」だね。ちょっとこのダンバウの螺鈿は素人くさいね。





 安っぽい螺鈿があるならいっそのことないほうがいいかもね。Ngan君の新しいダンバウはボディー全体に彫り物がしてある。思ったんだけど、螺鈿よりも、彫り物のほうが音がいいんじゃないかなぁ。螺鈿は一旦掘ってそれを貝でうめるでしょう。この貝は何だろう......あわびかな? まあいいや、貝は木とはぜんぜん違う響きの素材でしょ。下手に細工してあると、ちゃんと埋まってなかったり、はみだしたりしちゃう。これは音にけっこう影響あると思うよ。







 ボディに空気に触れる部分が多いということは、それだけ伝わった振動を効率よく外に逃がしてあげることができる。余計な振動が、柄の部分の瓢箪にフィードバックしたりしないし、ピックアップのある部分を揺さぶってサスティーンを消したりしない。










 あながちそうとも言えないよね。ボディーが全然ないということは、楽器そのものの安定感がなくなるわけ。弦は弾けば、弦を固定している部分を中心に、振動するわけだけど、その振動によって固定している部分が動いてしまったら、サスティーンはもちろん消えてしまう。要は楽器をしっかり固定するだけの安定感があるボディならよいのだと思う。
 だから小さいダンバウなら、ある程度重量が欲しいものだよね。ただし、重量をかせごうとして、ボディーに使う素材に金属のような重いものを使うと、素材内での共振が大きくなる。棒状のシンプルな形式で完全なソリッドなものを作れば、音の逃げ場がなくなり、ますます共振しちゃう。小さくて、重量があって、安定感もあるもの....これは以外と難しい。
 大きなダンバウなら楽器自体が重くなるし、設置面も大きくなるから、安定感は増すけど、その分はボディーの振動が大きくなる。




 このへんは経験で適度なバランスのある大きさを探すしかないよね。

 それから、Ngan君のダンバウは全面に非常にうすいラッカーが均等に塗ってあるけど、これもよいよね。前のダンバウはボロボロ。ヴェトナムの楽器は、弦に面する部分の素材には塗り物をしていないことが多いようだけど、このダンバウは上面部分の素材にもラッカー加工がしてある。よく見ると裏面にもラッカー加工が。このあたりは、木材を生かすという意味で、たいへんよいね。木は呼吸しているからね、伸び縮みするし、ラッカーがないといきなり湿気で水分を含んだりして、振動の伝わり方にムラが出てきてしまう。



 見た目の効果もあるよね。
 次に、この弦に面している上面部分だけど、一本しか弦がないのに、アーチがついている。これは非常によいアイデアで、弦に面する部分の面積がもっとも少なくなるようにできていることになる。間も言ったけど、弦の振動というのは、実は弦とボディを接地させるブリッジの部分から、この弦に面する木材の表面に伝わることになる。弦そのものの振動がボディーに直接に届くと、跳ね返ってくる振動が弦をさらに揺らすから、結局は弦の振動を消してしまうことになる。つまり、サスティーンが出ず、余計なノイズが生まれる。アーチがついているから、ブリッジを伝わった振動も、左右に拡散するから、弦に影響を与えない。


 昔の人のアイデアというものは、実は深〜〜いものがあるんだよなぁ。

 さて、ボディーに付いている右側の柄の部分だけど、これは牛角?  演奏のしなやかさを得るには、いい素材だね。でもね、ここの部分に弦振動がすご〜〜く来ている。弦を弾くとビ〜〜〜ンとくるね。試しに、ボディーに耳をつけて弦を弾いてみてよ。その次に柄の部分に耳をつけて弾いてみて!ぜんぜん違うでしょ。

















 これがダンバウの秘密ですね。ボディーに耳をつけて聞いた音は、弦振動に誘発されて生まれた共振ハーモニックスがほとんどなんだろうね。それに対して、柄の音は弦から生まれた振動にかなり近い。ピックアップではこの柄の音に近いものw拾っているわけだと思うよ。

 柄の振動は、ボディーと接している部分を経て、ボディに伝わる。だから、この接着点に振動を押さえるものがほしい。で、Ngan君のダンバウには、なんと象牙でボディーと柄をつなげる穴を囲ってあるね。贅沢だよ!。日本の楽器もそうでしょ。弦のネジマキは象牙です。なぜならネジマキに弦振動が共振しないようにするためなんだ。



 それから、柄に付いている瓢箪形状のものだけど、これは木でできている。飾りだよね。でもこれがないと楽器らしさがなくなるんでしょう?


 すると、柄とは別の素材にして、しっかりと柄に固定すると。そして、柄と瓢箪との間に空間が生まれないように、しっかりと穴を作ると。そうすればいいよね。
 さて、今度は、弦の右手で、ボディーと弦を接地させている部分だね。この部分にピックアップがある。たいへん大事な部分だね。でも、この部分はあまりに単純で、改良の余地があると思うよ。弦とボディーを直付けしないように、枕としてブリッジがあるけど、金属の丸い形状のものが横になっているだけ。しかも、その先は、弦が折れ曲がるようにして、ボディー内部に入っている。折れまがっているのはかまわないけど、その部分は穴があいているだけで、ボディと直に接している。さらに、その弦はボディー内側の糸巻きになっている金属の棒に結ばれている。昔にNgan君のダンバウなんて木につながっていた。それをベース用のペグを改造したものに結びつけて、チューニングするという感じだね。このへんがイマイチなんだ。すべてが。













 ははは。でも、いいダンバウを作りたいんでしょ?
 まずね、弦が金属だから、ブリッジの素材も金属でかまわないんだけど、もっとマイルドな音にしたいなら、左端の象牙か、あるいは別のもっと柔らかい素材があると思うよ。
 それから、ここにブリッジが棒状になっている点だね。

 いや、ダメとかそういうことじゃなくてね。
 まずダンバウは右手の柄で弦の張力を変えることで音程を変えるわけでしょう。これはギターのトレモロシステムと同じ概念だね。ブリッジとトレモロが別の部分にあるけど、考え方は同じだね。高低をつける際の方向は逆転するけど。
 さて、ブリッジがあるということは、ここで弦が固定さてているということになる。つまりブリッジと柄の間の弦の距離が固定されて、一つの音程が保持される。ダンバウの場合はドにチューニングするんだっけ?



 うん、するとね、柄の部分で弦の張力を変えるときに、やはりブリッジと柄の間の弦の張力を変えることになるよね。つまり、リッジと柄の間の弦の距離が変化するから音程が作れる。


 ところがね、ブリッジよりも先に弦があるわけでしょう?実際は、ブリッジで弦が最終点にあるわけじゃあない。すると、柄で音程を下げるように、張力を緩めたらどうなると思う? ブリッジから先のボディーに入っている部分の弦の張力だって緩まるわけですよ。
 ここが大事なんだよ。「ブリッジで弦の距離を固定してある/でも少しはブリッジより先も張力が変化する」。この二つが同時に起きると、柄-ブリッジ間/ブリッジ-ペグ間の二点で、弦の張力が微妙な違いがみられるはずなんだ。
 このとき起こりうることとして、「柄-ブリッジ間を張力がある一定の範囲を越えると、ブリッジに接した弦の部分が滑り出して、ブリッジ-ペグ間の張力が急に変化する」というのがあげられるね。
 しかも、距離の非常に短いブリッジ-ペグ間の張力は、距離の長い柄-ブリッジ間よりも相当高くなる。当然ながら、金属だから、ブリッジ-ペグ間の張力の高いものを緩めた後に元に戻す際には、大きな揺れを発生しながら、さらに戻ろう戻ろうとする力が働くことになる。
 例えば、ドの音をラまで低くし、さらにドまで戻そうとして柄を倒して戻すとすると、柄-ブリッジ間で緩まり/戻るというアクションが起こる。同時にブリッジ-ペグ間でも同じアクションが起こる。
 しかし両者の張力は異なっているので、ブリッジ-ペグ間で張力が「戻る」速度は、柄-ブリッジよりも早くなるはずなんだ。つまり、柄を元あった「ド」の位置に完璧に戻しとしても、張力の戻る速度の違いによって、必ずしも元の「ド」が出るとは限らないはずなんだ。


 そうだよね。実はその辺の音程変化はダンバウの魅力かもしれない。でも、もしもより簡単に正確な音程を出したいのだとすると、ブリッジで弦距離を固定すると同時に、柄-ブリッジ間/ブリッジ-ペグ間の張力変化がないように、弦が柄の動きに対していつでも滑って動かせるように加工されてないとね。ブリッジだけでなく、その先はボディーに接して摩擦を生じさせないように、別の部品を使って、弦とボディーを離してあげないと。こうした部品を用いることで、ボディーと弦が離れれば妙な共振を防ぐこともできるし一石二鳥だね。実はこうした部分は金属を使って滑らかに加工して、重量をかせぐことで弦振動の安定を得るということもできると思うよ。ギター用のトレモロ部品を改造して作ってみたら?


 ダンバウはトレモロ命みたいな部分があるから、このあたりは要注目だね。
 それからね、柄と弦の部分なんだけどね、単に結んでいるだけだね。これは難ありでしょう。だって、柄を左右に揺らしてみてよ。左側に曲げて音程を上げていくと、弦と柄を結んだ輪が下方向にずれるよね。右側に曲げて音程を下げていくと、弦と柄を結んだ輪は上方向にずれる。元に戻すとき、明らかに時間がかかっているし、時に戻らない場合がある。これではチューニングの面からして、ちっとも安定性がない。





ギターでブリッジを削るのと一緒で、注意深くやるといいね。弦のサイズにあった工具を見つけられるといいんだけど。

 さて、最後は木材とピックアップの種類だね。
 まず、木材だけど、二種類使っている。ボディーを囲む箱の部分と、弦と面している上側部分だ。どちらも素材はよく分からないけれど.........












 まず、そのアオギリで出来た楽器と比べると、木目の美しさがひときわ目立つね。アオギリで出来た楽器は、完全に塗装っしてあって、木目がみえないよね。
 Ngan君!これはね、紫檀(したん)だよ。ローズウッドの一種だね。ギターでは指版に使われている木材だよ。色/重さ/木目/固柔、どれをとっても紫檀だと思うよ。アジアで採れる素材だしね。マホガニーならもっと木目が細かいし。あ、でも、このダンチャインはマホガニーだね。同じ素材じゃないよ。


 そうだよね。ただ元々はメチャクチャ高い素材というわけではないよね。乱伐はかなり深刻な社会環境問題だとは思うけど........。寝かせて、加工してだったら、けっこうないい値段だな。このダンバウいくらだっけ?

 ひょえ〜〜、絶句。
 今度、唖記にも買ってきてよ。

 インテリアにします(^^);;

 ローズウッドはね、そのものズバリ素材よりも、加工がとっても難しい素材だから、このへんの職人技の部分が大事なんだよね。ダンチャインなんてすごいよ!ぜんめん丸い形で加工されているんだから。もう脱帽というか、すごい技術だよ。





 いや〜、伝統技術の美しさの粋だね。月琴もすごい。丸だもんなぁ。。。。

 で、弦に面した上側トップ材は、これはなんだろうね。すごく大きなゆったりとした木目がある。色も白系で美しい。メイプルかな?ヴェトナムでも採れるのかなぁ?よく分からないけど、っそうだとするとボディがローズウッドでトップがメイプルとはなかなかおもしろい。ちょっとレスポールかな。









 あ〜、ピックアップね.........これは........最悪(曝)。でもね〜〜、楽器の形状を生かしてつけるにはこれしかないんだろうね〜〜。ピックアップ裏なんてもうどうしようもない。
 でも、まあ、この話はずいぶん前にもしたよね。Ngan君はクルーズでVestaxのスタッフに改造もしてもらったし。あれが限界じゃない?
 あ、でも、ちょっとこの写真をみてよ、すごいのが付いているよ。これは巨大なマグネットだね。


(ダンバウ裏面ピックアップ)

 う〜ん、この写真はベース用の改造じゃなくって、オリジナルに見えるけどなぁ。でも、ベース用というのはいいアイデアだと思うよ。ハーモニックスを拾いやすいだろうしね。Ngan君のダンバウにサドウスキーのベース用ピックアップとプリアンプ付けたいね。ミドルカットの音で透明感が出るだろうけど、ダンバウらしくなくなるね。



 そうそう、つけるのは簡単だけどね。



 いや〜、これに関してもよく分からないんですよ。もともとは絹糸だったみたいですね。


 そうでしょうね。第一、絹糸で弾いていた頃から、ハーモニックスで弾いていたかどうか調べてみないと。もちろんハーモニックスは金属弦でなくても出るわけですが。
 また、これだけ細い金属の弦を加工するには、そうとう近代的な技術が必要なはずなんです。こういう点から考えると、かなり近代に導入されたことは間違いないでしょうね。
 ただ、一つ思うのは、金属の加工というのは権力の権威付けというものと大きく結びついていたと思うんです。細い金属弦を作ることができるというのは、それ相当の財力/人力/技術力が必要なことです。ヴェトナムでは長らく王朝があって、王宮音楽は通じた音楽の発展は、ヴェトナムの伝統音楽の大きな要素です。中国の影響下にあった時代、それから独自の王宮文化を発展させた時代を経て、現在の伝統音楽の基礎が出来ています。このように考えてみると、金属弦を用いた時期も、かなり早い時期からあったのではないかと思うんです。






 店頭で売っているものに限れば、アコースティックでも金属ですね。ダンニ(胡弓)なんかでは、塩ビを使うこともあるようですが。


 もっともっと太い弦を使って、ベース的な音をダンバウで出す場合もあるんですよ。






 さて、夜も更けてきたことですし、だいたいのダンバウの歴史/文化/構造については討論ができたと思います。どの点に関しても真実が分からず、謎の多い楽器ですが、このあたりは逆に想像力をふくらませてくれますし、それこそダンバウの魅力の一つなんだと思います。ヴェトナムの伝統文化のなかで、日本との共通点に気付いた方もいらっしゃるでしょうし、独自性に気付いた方もいらっしゃると思います。楽器一つ語るにしろ、楽器の構造から音色、演奏法、アイデアまで、さまざまな要素がありますが、単純に一直線上に現在の形式・技術に落ち着いたということではなく、歴史に基づいた伝統文化のあり方が複雑にからみあって現在の形をなしているということですね。



 う.........今日は、どうもありがとうございました。
 え、なんですか?





 いえ、ありません(*^^*)
 じゃ、どうも〜〜〜〜(^^)p~~~~
[質問5] 金属弦はいつから?
 そうそう、大きな疑問だったんだけどね、金属弦というのはいつごろ導入されたものなの?


 絹糸か。それじゃあ、ボヨンボヨンしていた音だっただろうね。


















 なるほどね〜。唖記は、ピックアップで音を拾いたいから金属にした、っていうだけのことかと思ってた。だって、金属じゃないとマグネットのピックアップで音を拾えないからね。マイクにするしかない。
 現在のアコースティックのダンバウの弦は何?絹糸?それとも塩ビ?





 不思議だなぁ。


 もしかしたら、そっちのほうが金属弦を使ったダンバウの始まりに近いのかもね。

















 そうだよね。うんちくもいいけど、Ngan君はもっと一生懸命に練習してね(^^);;


 あ、そうそう、最後に一つ質問があるんだけど........。

 上の文献リサーチでね、「娘よ、一弦琴に耳を傾けるではない。この弾き手に抗し得なかった娘は多いのだから」ってあるじゃない??つまり、ダンバウを女性に聞かせるとみんなホレちゃうってことでしょ?? Ngan君はこういう経験あるの??

 あ、逃げちゃった。
 .........まいっか。あ、どうもでした!
............おしまい

 上記の対談は、Chieu Nganおよび西村の個人的なもので、学術的確認などは行っていない対談の域を越えません。
 なお、無断引用/利用は上記紹介の方以外には遠慮させていただいています。
 また、間違いなどがあったら、ぜひ御指摘いだだければ幸いです。


(伝統楽器 index)(Dan Bau index)(BEO RAT MAY TROI Vietnam h.p.

製作/著作

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