一番困ることはこの「半分の真理」という奴である

漆山成美

「新聞論調への反論--自由・平和・人道を主張する「社説」の研究--」
漆山成美著 日新報道出版部 1975


ジャーナリスト出身で国際関係論の研究者である漆山成美による。

この本は、1960年前期から70年初期の朝日新聞の「社説」を題材に、ベトナム戦争に関する言論の論調を分析・批判したものである。 日本におけるベトナム戦争論に疑問を抱く作者は、戦争批判に際しての感傷的描写やセンセーショナリズムに「半分の真理」見い出し、それ以外の部分に光を当てることでベトナム戦争批判の再検討をはかろうとする。 全体的な傾向としては、年代に沿って「社説」を詳細に分析し、周辺のメディアや関係者の証言をおり混ぜつつ、論調および世論を明らかにしてゆく。



第一章では、ベトナム戦争が内戦であったか侵略であったかという、初期のベトナム戦争の定義に関する社説の論調の分析が行われている。
「ベトナム戦争はその初期の段階で南の混乱と北の隠蔽された浸透で始まっていたのであるが、朝日新聞「社説」はこれを南ベトナム内の「内戦」としてとらえていた。そのような「内戦論」は各種資料を照らしてみた場合、十分な説得力をもっていない......」とある。

第二章では、 ベトナム戦争を「内戦」として捉えながら、その論調ではベトナムに異質の政権が「二つ」あったことを示唆する「社説」の政治観の分析である。さらにその「二つのベトナム」的思考は、北イニシアチブによる南北統一論へのと発展したことを、戦局とともにエスカレートした武力統一論として批判する。
「総じていえば日本のマスコミは「民族統一」という言葉に弱いという傾向をもっている」との指摘は実に興味深い。

第三章では、「社説」のベトナム民衆像の分析である。「素朴でつつましい」戦争被害者としての大衆像を「社説」から導きだし、米国防省の関係者のベトナム民衆の分析を対比してみせる。議会制民主主義の定着していないベトナムで無抵抗主義を勧める姿勢に見られる、民族主義の「社説」での軽視を批判する。民族の植民地主義からの解放は、共産化によって成り立つだけではなく、イデオロギーからの解放も含むのではないかという議論とも読める。

第四章では、「自由」「人道」の名のもとに展開された「社説」のベトナム戦争批判の分析である。「自由主義」であることを求めることと「自由」を求めることの概念が不明確であること。「人道」にしてもイデオロギーから脱却した「人道」は見あたらない、ということである。この章ではベトナム戦争中のベトナムでの「言論の自由」に関する説明も加えられており参考になる。

第五章では、「社説」が軍事縮小を求める声は相互縮小の立場に立っていたが、次第に北の応援に近いものとなったことへの批判がなされる。

第六章では、「力の論理」としてアメリカのベトナム戦争への介入を批判した「社説」について、中ソ米の関係が視野に入っていたかどうか検証する。

第七章では、米国の反戦運動による世論と「社説」の論調を対比し、反戦の論理と連帯の思考の関係を分析する。
「ベトナム戦争についての批判は、単に北ベトナムを応援し、米国の敗退を促進するためのものでなく、北の武力統一を効果的に阻止するためにはどうすればよかったのか、どこに欠陥があったのかの点をめぐってなされてこそ、友人の忠告にふさわしいものであったろう」とある。

第八章では、日本政府の外交行動に対する「社説」の主張から、「社説」のアジア観を分析する。「アジアの心」を理解できない欧米の前に、体制差なきアジアを完成し、「植民地」支配から抜け出ようとする、明治以来の「アジアは一つ」の主張の系譜があるとする。





この本は筆者(日吉のこと)が、タイ米に関する朝日新聞の「社説」の分析を行う際に、たいへん興味深く参考にさせていあただいたものである。
ベトナム戦争は僕が生まれる前の出来事であり、ここで論じられる「社説」についてもその「反論」についても、なんともいいがたいなあ、という思いである。ホームページのトップには「百花斎放」などと書いているわけだし、主義でない自由なら主張していきたいとは思う。がまだまだ分からない。



製作/著作 日吉 昭彦/ひよし あきひこ


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