.....漱石が「明暗」に至るまでの約10年の間に見せた心的変化は、日本人が国際化の過程で等しく辿る道筋であったかもしれない.....

半田 淳子

夏目漱石の異文化体験と小説に描かれた外国人-マージナルマンとしての視点から-
文学のこゝろとことば 
1998年 七月堂、編者:内田道雄
p59-68


1900年当時、夏目漱石の留学先ロンドンでの生活について、日記や作品からさぐってゆくと、それは漱石にとって生涯のなかでもっとも不愉快な二年間だったそうだ。そんななかでしばしば漱石は安息を求めて郊外の公園に足を運んだという。

イギリスで日本人留学生として生活する漱石はマージナルマンであった。日本人としても、またイギリス社会にもとけ込めなかった上、非常に内省的な性格になっていたという。この頃のマージナルマンとしての漱石の性格は、しばしば文学作品のなかの人物に投影されている。たとえば、「こころ」の先生。西洋人と一緒に海水浴を楽しむ姿に、マージナルがゆえにマイノリティの西洋人と近付けるのだという。漱石には、日本人エリートとしての自負と、西洋文明社会に対する劣等感という、合い反する二つの感情があった。

人間には異文化適応の段階がある。残された文学作品と、漱石にとってもの適応の段階の時期には、なんらかの関係があろう。

漱石の「作家用語索引別巻」を用いて、小説に登場してくる外国人の国籍と頻度について調査すると、主に、ヨーロッパ人やアメリカ人といった西洋人を登用しているが、中国人や韓国朝鮮人といったアジア人はあまり登用していないという。また、帰国した後の5年間にかけて、ときに外国人登場の頻度が高いという。ただ、漱石は西洋人の言動を賞賛することはなく、揶揄したり批判的にみることが多かった。

漱石初期の作品のなかの西洋人は、20世紀近代文明社会の繁栄の象徴だそうだ。「三四郎」「我輩は猫である」「それから」などにこうした描写がある。晩年の作品の「彼岸過迄」などでは肉感的に描かれた西洋人が登場する。また、「明暗」ではロンドン暮らしを郷愁するような箇所がある。しかも、自身の容姿を揶揄するような表現もみられる。

外国人は近代小説のなかで注目されることはあるが、たいていは点景の一部にすぎず、小説の展開と深く関わることはなかったという。それでも漱石の小説のなかで、こうした変化がみられるのは、日本人のたどる一つの道であろう。


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