1998, Sep. 7th- Sep. 17th
Ho Chi Minh City - Rach Gia
その1 ラックザー旅行編
懐かしい甘い稲の香りで、ますます朝を好きになる のんびりした二羽の黄色い蝶々に愛着が湧くとき ぼんやりした村の女の子にも魅力がある 段々畑の木のそばで、今、楽しそうな人生の花が咲いている ねえ、楽しそうなオレンジ色の服がとてもきれい 椰子の木の屋根の家に向っている足取りの思い出 おいしい椰子の実のことを歌っていた 幼い子供の子は、日ざしの下で水牛に乗って、どんなことを願ったかしら? 川の流れのそばで彼女は一人、悲しい人が行くのを見つめていた 故郷に帰る路で 愛しさに満ちあふれている音を聞く 鳥の翼、川と湖。いつも空の中を流れている 放浪する足取り。ああ、それだけが夢 この青白い椰子の実。愛しい私の青さ 白い鳥は、楽し気な夜の、可憐な森に帰る あの村の入り口の、高い椰子の木に、日射しが傾いて、 幼い娘たちは、嫌なことを忘れて、冗談をいいながら、歌う 気楽な生活が、私たちの心に戻ると、ますます親密で楽しい 黄金の稲の花は、あなたが耕したおかげ この美しい日射し、故郷の辺りは楽しくて、目が眩むほど明るい 貧しい故郷の日の出。軽やかで柔らかい幾多の人生 早く昇ってよ!楽しく明るい空の上に 新しい喜びよ、こんにちわ。貧しい村よ、ああ! この曲がリアルオーディオで聞けます! Na('ng Le^n Xo'm Nghe`o(貧しい村の日の出)by Bich Phuong & Pham The My & Minh Van |
ラックザーでの出会い
それから筆者はラック・ザーを旅行した。なんとなくガイドブックにあまり載らない町に行ってみたかったのだ。
ホーチミンからラック・ザーに行くバスの中で、隣に座っていた家族と友だちになった。50才くらいのガタイのいいお母さんと18才の女の子(*^^*)。
ホーチミンの大学に通うこの子は、中秋の祭りで田舎に帰るところだった。
ラック・ザーまで10時間ものあいだ、暇つぶしにはちょうどいいだけの程度に思われているのだとかと思いきや、「ラック・ザーなんて、どうして来たんだい?遊びにきたって?見どころはないよ、うちにいなっ!フーコック島に行きたい?今は天気悪いんだからヤメナヤメナ!」。
ラック・ザーについてからも、ホテル探してくれたり、町を案内してくれたり、中秋の親戚の集まりに呼んでくれたり、はたまたすっとぼけた僕がホテルにパスポートを忘れてホーチミンまで帰ってしまったのでパスポートを預かっていてくれたり、夜行のバスがくるまで一日家に寄らせてくれたりと、お世話になりっぱなしだった。
Spice GirlとNhu Quynh
僕はベトナム語をよく聞き取れないので、分からないときは、紙に書いてもらっていた。ベトナム語勉強ノートを持参していたので、そのあまったところで筆談していた。
このベトナム語勉強ノートに、僕はニュー・クインの曲の歌詞を一曲翻訳していた。別に歌おうとかいうわけじゃなくて、単語を覚えくて先生に見てもらっていただけのものだった。
筆談のとき、ノートを取り上げて他のページを見たこのお母さん、歌詞を見つけて「歌え!」と言う。恥ずかしいぁと思いながら、歌うと、これが大ウケ。ニュー・クインの曲だと説明すると、女の子は「まぁ、ニュークインを知っているの?」と仲良くなった。それからことあるごとに、このお母さん「カー、カー」と親戚中の前で歌わされたりした。それでもおかげで、いろんな人とずいぶん打ち解けられたものだ。
ホーチミンに帰る前、女の子は、高校の友人が先生に家に集まるから遊びに行こうと誘ってくれた。この時もやっぱり歌うことになった。
一行間違えて「こら、ちゃんと意味を考えながら歌いなさい」と笑われた。楽しい。
日本の歌を歌って、と言われたので、ちょっと考えて、「では、日本とベトナムの混じった歌ね」と、チン・コン・ソンの「Diem Xua」日本語版を歌った。みなの目が点になった。顔を見合わせて「本当だ...」という顔だ。先生はそれを聞いて「Bien Nho」を歌ってくれた。
集まりが終わって、この子の家で夜行バスを待っているとき、「今、練習している曲があるの」とカセットテープと歌詞を持ってきた。曲はSpice Girl。小さなスピーカー付き携帯ラジカセから聞こえるダンスリズムに耳をくっつけて歌っている。「今の若者はね、こういう曲が好きなの」。
思えば、高校を卒業したばかりの人の前で何十年も前の「Diem Xua」を歌ったのだから、目が点になるわけだ。
帰りぎわ、お土産にと一枚のCDをもらった。今のベトナムのヒットチャートの曲だという。日本に帰ってからそのCDを聞いたら、チン・コン・ソンのカフェで聞いた曲がたくさん入っていた。どれだけたくさんの人と友人になれただろう。どれだけ楽しい時間が過ごせただろう。音楽は国境を超えると思った。
筆者が歌っていた曲は上の囲いにあるような歌だ。ラック・ザーはこの歌の歌詞のように美しく素敵な町だった。
まさか歌うとは思っていなかったので、もちろんこの歌であることの意味はなく、偶然である。
ラック・ザーはベトナム南端に近い港町で、ボートピープルをもっとも多く出した町の一つでもあった。
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